Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

縦の力は横の力へ常に解体される。

横の力とは、因果律であり等価交換。A⇒Bのことであって。縦の力とはA⇒Eと、あたりまえではないことが起こる。それは即ち関数Fである。A⇒B⇒C⇒D⇒E、という実は横の力の現象であるのだが、途中の経過が人の目に見えないときそれは不思議な力、神の力とみえる。その経過が時間があまりにもかかるもので、忘却を起こすものであるとき、まるでA⇒Eがおきたようにみえる。貯蓄である。人は貯蓄を始めたとき、自らに力があることを確信した。神の必要をなくす最初のきっかけであった。貯蓄を可能にしたものが貨幣経済である。農奴から独立自営農民へ。神の力から成長の力へ。
 
科学者は縦の力を横の力の連鎖であることを発見する。現実主義者。いやそれゆえに、縦の力への憧れも強いのかもしれない。世の著名な物理学者が、クリスチャンであるところは有名な話である。
 
今、近代社会における日常世界のあらゆる現象は、途中経過がわからないブラックボックスになってしまっている。昔で言うところの縦の力を、より強力な縦の力によって、あたりまえのもの、横の力としてとらえることにしている。スイッチをおすだけでお湯がわく。これに今いちいち驚いて感銘をうけている人はいない。なぜならば、それを権威付ける、科学という縦の力が存在するからだ。いや正確には、した、からだ。科学の力はもう過去の遺物であり、すでに横の力へと解体されてしまったようだ。科学にたいする憧れはかつて少年たちの共通のものだった。
全て縦の力は、横の力へ解体されていく。非日常は日常へ。そしてさらに影響力の大きい縦の力を、無意識にもとめつづける。
 
「なんかさー最近おもしろいことないっすかねー?」