Leanな生活について考えるブログ

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会社から中途半端な人間関係のしがらみを取り除きイノベーションを起こしたいなら、血縁による「イエ」制度を確立することが大事な気がする

古代からあった農民と領主の関係であっても、現代のオーナーと社員がいるという関係であっても、一個の経済活動を行う関係性という意味ではかわらない。それが不平等、つまりブラックかどうかという違いがあるだけだ。また、昔はその経済活動を行う関係性が、村というお互いの顔がわかる範囲での「愛情空間」だけで成立していたものが、現代はその関わる人の範囲が拡大し「貨幣空間」とよばれる知らない人をまきこんだものになっているという違いがある。

ただ、昔も愛情空間だけで経済活動が行われていたかっていうとそうでもない。だいたい年貢を収める相手からして、よくわからない人、ってことになっていただろうし、年貢の対象とならない農作物に関しては、県境にて市をやり無縁空間での経済活動は行われていた。

たぶん、現代と昔の違いは、昔に貨幣空間がなかったのではなく、今に顔が知れる範囲での愛情空間で経済活動が行われることが建前上なくなっているってことだろう。会社というのはぎりぎり、そんな状況の中で、愛情空間での経済活動の名残を残している。建前は貨幣空間の中での活動組織なのだが、実態は愛情空間としての関係性をもっているという形でよく言えばハイブリッド、悪く言えば中途半端な状況。

ところで、会社そのものを解体して、純粋に個人が貨幣空間で活動できるようになりたいと、ノマドと呼ばれる人たちは活動する。多分彼らはこういう中途半端な状況を解体したいのだと思う。貨幣空間で活動するということを純粋化すると、経済活動から人間関係を取り除きたくなるのは当然。じゃあ愛情空間はいらないのかというとそうでもないが、彼らはたぶんそこは、逆で貨幣空間がまったくはいらない、純粋な愛情だけで成立する愛情空間を作りたい、もっているのだとおもう。

しかし、そんな自力で貨幣空間の中で活動し、自分の魅力だけで愛情空間を作るというのは相当能力が求められる。普通の人は、たまたま集まった会社組織で、そこそこの関係性の愛情空間を作り上げ、また、話し合いなど愛情空間の論理が邪魔をする中途半端な会社という貨幣活動の主体で生きていくのが楽だ。

ただ、経済活動ということだけを考えると、ノマドなひとたちがいうように、今の会社に愛情空間を持ち込んで中途半端な経済活動を行っている状況はかなりダメなのは事実。ここを解決するの、個人が愛情空間をきっちり確保することだと思う。そうすれば会社にそういうものを持ち込まずもっとドライな関係性ですむようになる。個人が愛情空間をきっちり確保するということは、「イエ」制度をきっちりする、ってことなんだと思う。魅力がある人は、そういう血縁的なものがなくともなんとかなるが、普通の人にとっては、無条件で愛情空間をつくることができるのは血縁が重要になる。

愛情空間は、愛憎空間でもあり、面倒くさいしがらみがたくさん生まれ、それは個人にとっては、とても面倒くさいことなのだけれど、経済活動を活性化するには逆説的にそうするしかないのではないかなと思ったりする。