Leanな生活について考えるブログ

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僕らのゼロ年代マップ〜邦楽編〜 考察の部

■ まぁそんなわけで上の邦楽ゼロ年代マップなんですが、飯をぬいて、テスト勉強を放棄してつくったおかげで魂を吸い取られたような感じがいたします。なにか人として大切なものをなくしはじめている気はしますが今更だという声が外野から四方八方六法手裏剣に飛んでくるのでそんなことはどうでもいいです。ビバ動物化
 
■ さて、 gotanda6さんのところでとりあげていただいたところに偶然岸田メガネやめるニュースhttp://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20050121#kururiがのっていましたので、なかなかおもしろいことであるなあと思いました。なんで古語調なんですかね。しりません。いや、しかしながら、前の記事http://d.hatena.ne.jp/miyatad/20050112#p1では冗談をいふ感覚で記事をつくったわけですが、ボクはこれは、ものすごい大きな大事件であると。ボクはそう思うわけです。ボクはいまここで高ぶってることがすべてなわけです。サンボマスターを引用してみたところで特に意味はありません。
 
サンボマスターで思い出しました。もうひとつ似たようなニュースがあります。ミュージックマシーン経由の情報http://www.musicmachine.jp/なんですけれども。
 

 
爆音で繋がる時代は終わったって思ってる」「世界は、ファーストを出した時より複雑になってるから、僕らはもっとふくよかなリズムで、その複雑さに対応しなくちゃいけない
 http://bounce.com/interview/article.php/1748/

 
サンボマスターのコメントです。一見、サンボマスターの音楽性の変化を端的にのべているようで、実はこのこともゼロ年代後半への最初の一歩なのです。とても重要なことやけん。九州弁。
 
■ この二つのニュース。それぞれ、メガネロック、青春パンクから、彼らが幻想を違うところへと求め始めたという兆候だとおもうのです。
 
■ LAISOさんのところで取り上げていただいたところに

 
「それにしても邦楽ファンの人達は幻想見過ぎだなー」http://d.hatena.ne.jp/laiso/20050121
 

 
■ というコメントをいただきました。まったくそのとおりです。では幻想とはなにか。現実に所属しているグループとは別の魂のグループです。*1いや、別に怪しいもんじゃなくて。ようするに、サークルとか部活とかの、建前の理念みたいなもんですよ。サークルごとに色々違うじゃないですか。空気っていうか。あのサークルでは音楽中心なんだけど、あのサークルでは仲間とわいわいやったりするのが一番いい!的な。あと、男の好みとかでも、フェチ的なもの。それこそメガネ好きとか、ヒップホップ好きとか。そのていどのもの。
 
■ だけれどもそういった「幻想」は、その程度であるが故にすぐにだめになる。あきられてしまいます。あんだけ世の中を巻き込んだ不良文化だって飽きられるし、エリート文化だって飽きられる。*2。メガネ幻想。そして不細工パンク幻想。これらもいずれ崩壊するでしょう。間違いなく。今回の二つのニュースはその兆候だとおもうのです。
 
■ 幻想がだめになりそうになると、人はどうするか。他の、もっと、「新しい」幻想をさがそうとします。民族大移動です。そしてひとは「ニューフロンティア」を探そうとします。
 
■ しかし全くもって新しい幻想など、もはや幻想の世界においても、そんなに残されていない。そうなると、人はまさにフロンティア、境界をうろつくようになる。ジャズとロックの境界。パンクと日本語の境界。政治とロックの境界。
 
■ ここのところ90年代は、まさにそういった境界ブームでした。しかし境界つったって結局また限りがある。そうなると、今度は中心原理に走ります。「そもそも〜とは」がテーマです。そもそも日本とは、でプチナショナリズム。そもそもロックとはで、骨太ロック。
 
■ くるりとかが最近アメリカントラッドなロックにもどってたのもその辺だと思います。だからめがね(境界ロック)からめがねをはずす(中心ロック)にいくんだとおもいます。サンボマスターも、爆音(中心パンク)から、複雑な音楽性(境界パンク)へと移動する。
 
■ 境界 中心。このふたつを幻想をおいもとめていったりきたり。これが幻想の、流行の移動の正体だとおもうわけなんです。そしてまたゼロ年代後半にむけて、いろいろなひとたちがいろいろなおもわくでいろいろやりはじめとるんじゃないかなあと。この二つのニュースをみておもったわけなんですよ。

 
■ プロデューサーは、こういった流行の変化をみきわめるのが仕事なんだとおもうので、たぶん自分なりに、こういうマップをつくってんだろうなーとかおもふ。

 
■ しかし今ふと思ったけど全然マップの考察してねえや。これただニュースへのコメントだ。あはは。まぁいいや。また暇なときにかきます。うそです。暇じゃないときにしかかきません。現実逃避のエネルギーってものすごいですね。自分でもびっくりです。

*1:ここで話を小難しくすると同時に、論理を飛躍させます。幻想とは、日本における宗教の代理です。古来日本はアミニズムであり、一神教の伝統はなかった。それゆえ、明治時代以降国をまとめるときに持ち出したのが、万世一系天皇を頂点とする中心原理でした。しかし、次第に70年代を決定的に崩壊し、日本は中心原理を失いました。■ しかし、人が生きていくには、現実だけをみていくのはつらい。他の人と、共通点をみいだしたい。グループをつくりたい。そのためには中心原理が必要です。その中心原理こそが、幻想の正体であります。■ 一昔前では、その幻想が、「思想」という言葉で成立していた。しだいに言葉に力がなくなり、「音楽」にとってかわられた。そのなかで、ロック雑誌も衰退していく。これは余談ですが.

*2:それは今まで日本に生まれてきた有象無象の「族」の隆盛衰退をみればわかります。また、日本人があきやすくさめやすい種族であるところをみても。これは結局、歴史が存在せず、かつ、中心原理が言葉で説明しにくい、グループは、万国共通、衰退してしまうものなんです。キリスト教は歴史が存在する。共産主義は思想が存在する。ゆえに続いた。