Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

【本】 買った本「自己決定権は幻想である」「意識とはなにか」

最近近くの本屋が大きくなって、至極満足。たぶんこの世の中で一番いる時間が長い空間が本屋だといっても過言ではない俺にとっては最高です。つっても微増、ってかんじなんだけれども。きっとこれから成長していって、今のビル全部があの本屋になるとかそういうことが起こらないとも限らないのでこれからも応援していくつもりだ。っていうかもうユニクロとか無印とかいらないから。そこ漫画コーナーでいいよ。

そんなことはどうでもいいのですが、買った本の記録。「自己決定権は幻想である」小松美彦。「意識とはなにか」茂木健一郎

自己決定権は幻想である、は、最近、自分のなかで「ヒューマン」とかそういう概念がいかに西洋風なかんがえかたで、でっちあげられたものか、という考え方にはまっていて、その流れで買ったんだけれども、なるほどなるほどな本でした。まだいまいちまとまってないんだけれど。「自分は自分だからひとに迷惑かけなければなんでもいい」という考え方に対する批判。まぁわりと「おじさんくさい」批判なんだけれども、まったく正論でなるほどとおもった。説教くさいところがなく、読みやすい。

なんとなくいわんとしていることは、やっぱり、周囲の影響なくして「自分」というものは存在しえない。周囲から切り離された「自分」というのはありえなくて、そういうもののうえにたっている「論理」というのは一見正しそうにみえても、やっぱり嘘だと。その嘘の土壌をつくったのは西洋社会。で、結局はやっぱり客観的な「自分」というものは存在しなくて、記号としての自分は西洋のなかで、しかも奴隷制の上でしかなりたたなかった制度のうえでしか存在しなかった虚構のもので、それから派生する「自己責任」という考え方もやっぱり、日本では虚構のものでしかない、という考え方を強めるものとなった。

法律の文章上の図式が、そのままある種「科学的」正当性をもつとは限らない。

「自分は自分」というのはある種の目標、スローガンにはなりえても、実際の社会でそれを通用させるのはむずかしいかな。ただそういう「自己決定権」が存在するという仮定のわりきられた社会ってのも、うまく日本の風土がかわっていけば存在しうるとはおもいます。そしてそれはそれでうまくいくなら、いい話なんだろうとおもおもう。多少夢物語かなともおもうけど。

なんとなく、若者が「自分は自分」という西洋風な考え方を持ち出す背景には、西洋の過去のヒューマニズムを作り上げた背景のギリシアの奴隷制があるようなきがしておもしろい。つまり、学生の遊びまわっている状態こそが「人間的」で、それを支えている親や社会などが「奴隷」というわけだ。


茂木さんの本は、ちまたで噂の「クオリア」っていう脳の中の質感にたいする話で、まえまえから興味があったんだけど、今回新書でまとまってたので購入。まだよんでないので楽しみ。