Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

■ コラム:いつか現代芸術は滅びる?そして伝統芸術だけが残る。

■ 昔のcdを僕たちは聞く。それは、僕たちが生きている時間が有限であるということにおいて、同世代の音楽を聴く回数を減らすということになる。現に今の音楽をきかず、クラシックだけを聴く人とか、そういう人は多数いる。
 
■ 記録媒体がこれからどんどん進化しつづけ、全てのものが記録されるようになったとき、はたして新しいエンターテイメントが必要になるのか?ほとんどのパターンがでそろったときに、新規のものは生まれうるのか?
 
■ そこにエンターテイメントが進化しなければいけないという強迫観念の大本の原因があるきがする。進化しつづけなければ、昔の優れた天才に負けるのだ。
 
■ だが脳みそそのものの進化が、これ以上望めない以上、その試みにもいつか限界がくるだろう。同じ脳みそから生まれるパターンは有限である。
 
■ そうなったときエンターテイメントとはなんになるのか?
 
■ おそらくは全ての作品は自分のもの、となる。すべてが同人化する。全て日記化する。自分の記録。自分という確固としたものを信じようとする人のための精神安定剤。
 
■ そうなったとき、エンターテイメント業界は二分化されるだろう。ひとつは昔の財産を記録し続け売り続けマージンを得る、「記録屋」。著作権ではなく記録代、管理費としてわれわれはお金を払う。
 
■ もうひとつは、「学校屋」。古来より伝わる作り方を伝え続ける。そうして自分を磨く術を教えていく。
 
■ ・・・なんて未来は、まだ当分はこないだろうとはおもうけれど。パターンは有限であるとはいえ、ほとんど数え切れないほど多いだろうし。ただ人の物理的な進化がないのならば、いつかこういう時代がきてもおかしくはないだろう。・・・また人間の想像力が実はそんなにたいしたものでない場合、もっと早い段階でパターンはつきるかもしれない。
 
■ 新しい音楽が売れない。それは「昔の人」の「今の人」へのエンターテイメント侵略戦争といってもいいかもしれない。