ぼくらのゼロ年代マップ〜邦楽編〜 ver0.5
→ http://d.hatena.ne.jp/miyatad/20050311
おっきくみたいひとはこちら
→ http://f.hatena.ne.jp/miyatad/20050120232438
こんなもんつくってみた。邦楽の見取り図です。特徴量を二つとって平面に分類してみました。まだデザインがしょぼしょぼ。あとサブカルミュージック以外が弱すぎる。誰かヒップホップかv系、青春パンクにくわしいひと感想っつうか文句をください。まだかえるつもりなので。
http://d.hatena.ne.jp/miyatad/20050124#p1
↑次のヴァージョンへの参考コメントなど
- 注意書き
- えーとかなり暴論なんでけっこうむかつく事書いてますが、ファンの人いやなメールとか送る前にちょっと優しい気持ちになって地球の平和とかを考えるといいです。
- 右上から左下、もしくは左上から右下はつながってます。ワープばりの勢いでつながってます。右斜めはガリライン左斜めはマッチョラインです。
- ちなみにこのことが意味することは、マッチョな人はドキュンに近づけば近づくほど裸を見せたがり、ガリの人はおぼっちゃまにいけばいくほど、服に無頓着になるという事実。
- 地域グループが小さすぎて見えないと思いますが左から時計回りに、原宿系、現渋谷系、旧渋谷系、代官山系、新宿系、下北系となっております。この地域グループわけ結構適当です。
- ちなみにゼロ年代とかいっといて思いっきり90年代の香りがしているのは内緒です☆
- ちなみに俺は退学がかかってるテスト期間中です☆
- うわーいお褒めの言葉をいくつかいただいてるみたいです。ありがとうございます。というかもうそろそろ叩かれる気がしてきました。まだ早いですか。こっちはいつでもオッケーだぜ!(親指をつきたてる)
- うそですうたれよわいですすいませんかんべんしてくださいぱんかってきます(ry
- やっぱ公開してよかった。まだ全然中途半端なんでどうしようか迷ったけど、いろんな人がいろんなことを言うのを聴いてると、がんがん思考がまとまる。というわけでニューバージョンいま製作中です。まぁゆっくりいきたいとおもいます。
- 実はひそかに漫画編も作ってたり作る予定だったり
- プチ考察
- ひとつどうでもいいことを思いました。はてなとHIPHOPの相性悪い。言及サイトが少ない。サンプル数が少ない故の偏見かなーっと。青春パンクもコアなのはあんまりみないなー。
- ネット文化は基本的にガリ文化だと思うので、そのへんに言及が多いのはなんとなくわかったり。
- この二つの軸にはそこそこに意味があって、ただなんとなく設定したのじゃあないんです。けっしてなんとなくかいてみて、なんかしっくりくるわーと思った上で自分なりに考察したとか・・・ですすいませんうそをつきそうになりました。まぁでも、後出し考えでもやっぱり意味がある。
- この二軸は日本における幻想の大元の二つの中心原理を軸にとってるんです。一つが学校化社会を形成している学歴幻想の軸。もう一つが、明治時代以降流入してきた外国文化幻想の軸(左にいけばいくほど幻想強し、右に行けば行くほど幻想弱し)。
- ちなみに両方とも幻想として終了しるから、日本のモダンカルチャーは混乱しているのだとおもう。
- また、学歴幻想の軸を、外国文化理解の軸ととってみても面白い。上に行けば行くほど理解(してるつもり)下に行けば行くほど深く考えない(表面上をみる)とみると、幻想をもって理解してるつもりなのがヒップホップ、幻想をもたず理解(してるつもり)なのがサブカル、幻想をもって表面上だけみるのがv系、幻想をもたず表面上だけみるのが青春パンク。ってことに。
- あーもう書き出したらとまらん。いわゆる「厨」と「ドキュン」の違いについて。最初ドキュンてかいてるところを厨ってかいてたんだけどよく考えたら違うと思って。厨は、どこのグループにでもいて、そのグループ以外の音楽を全く聴かずけなしたり、理解しようとしない原理主義な人たちのことを言うなと。ドキュンは言葉の定義上(っても2ちゃん用語に定義とかいってるのもあれなんだけれども)下のほうにしかいないわけだが、厨はこのマップ上どこでも存在しうるなーっとかおもいました。まぁ厨って言葉も元々厨房(中学生)の厨だから、狭義の意味ではwドキュンと被るんだけどさ。でも今使われてる感だと「空気よめてないひと」をさすかなと。2ちゃんて最近見ないからよくしりませんが。
- ってかそれって俺じゃん。テスト厨じゃん。orz
- ってかこれ注意書きじゃないし。すでに。考察編になってるし。あとでわける。
- はい。どうでもいいですね。朝ですよ。コーヒーでなんか胃がやばい。今日こそ課題をやりたいとおもいます。宣言。
- ひとつどうでもいいことを思いました。はてなとHIPHOPの相性悪い。言及サイトが少ない。サンプル数が少ない故の偏見かなーっと。青春パンクもコアなのはあんまりみないなー。
- 参考文献
僕らのゼロ年代マップ〜邦楽編〜 考察の部
■ まぁそんなわけで上の邦楽ゼロ年代マップなんですが、飯をぬいて、テスト勉強を放棄してつくったおかげで魂を吸い取られたような感じがいたします。なにか人として大切なものをなくしはじめている気はしますが今更だという声が外野から四方八方六法手裏剣に飛んでくるのでそんなことはどうでもいいです。ビバ動物化。
■ さて、 gotanda6さんのところでとりあげていただいたところに偶然岸田メガネやめるニュースhttp://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20050121#kururiがのっていましたので、なかなかおもしろいことであるなあと思いました。なんで古語調なんですかね。しりません。いや、しかしながら、前の記事http://d.hatena.ne.jp/miyatad/20050112#p1では冗談をいふ感覚で記事をつくったわけですが、ボクはこれは、ものすごい大きな大事件であると。ボクはそう思うわけです。ボクはいまここで高ぶってることがすべてなわけです。サンボマスターを引用してみたところで特に意味はありません。
■ サンボマスターで思い出しました。もうひとつ似たようなニュースがあります。ミュージックマシーン経由の情報http://www.musicmachine.jp/なんですけれども。
爆音で繋がる時代は終わったって思ってる」「世界は、ファーストを出した時より複雑になってるから、僕らはもっとふくよかなリズムで、その複雑さに対応しなくちゃいけない
http://bounce.com/interview/article.php/1748/
■ サンボマスターのコメントです。一見、サンボマスターの音楽性の変化を端的にのべているようで、実はこのこともゼロ年代後半への最初の一歩なのです。とても重要なことやけん。九州弁。
■ この二つのニュース。それぞれ、メガネロック、青春パンクから、彼らが幻想を違うところへと求め始めたという兆候だとおもうのです。
■ LAISOさんのところで取り上げていただいたところに
「それにしても邦楽ファンの人達は幻想見過ぎだなー」http://d.hatena.ne.jp/laiso/20050121
■ というコメントをいただきました。まったくそのとおりです。では幻想とはなにか。現実に所属しているグループとは別の魂のグループです。*1いや、別に怪しいもんじゃなくて。ようするに、サークルとか部活とかの、建前の理念みたいなもんですよ。サークルごとに色々違うじゃないですか。空気っていうか。あのサークルでは音楽中心なんだけど、あのサークルでは仲間とわいわいやったりするのが一番いい!的な。あと、男の好みとかでも、フェチ的なもの。それこそメガネ好きとか、ヒップホップ好きとか。そのていどのもの。
■ だけれどもそういった「幻想」は、その程度であるが故にすぐにだめになる。あきられてしまいます。あんだけ世の中を巻き込んだ不良文化だって飽きられるし、エリート文化だって飽きられる。*2。メガネ幻想。そして不細工パンク幻想。これらもいずれ崩壊するでしょう。間違いなく。今回の二つのニュースはその兆候だとおもうのです。
■ 幻想がだめになりそうになると、人はどうするか。他の、もっと、「新しい」幻想をさがそうとします。民族大移動です。そしてひとは「ニューフロンティア」を探そうとします。
■ しかし全くもって新しい幻想など、もはや幻想の世界においても、そんなに残されていない。そうなると、人はまさにフロンティア、境界をうろつくようになる。ジャズとロックの境界。パンクと日本語の境界。政治とロックの境界。
■ ここのところ90年代は、まさにそういった境界ブームでした。しかし境界つったって結局また限りがある。そうなると、今度は中心原理に走ります。「そもそも〜とは」がテーマです。そもそも日本とは、でプチナショナリズム。そもそもロックとはで、骨太ロック。
■ くるりとかが最近アメリカントラッドなロックにもどってたのもその辺だと思います。だからめがね(境界ロック)からめがねをはずす(中心ロック)にいくんだとおもいます。サンボマスターも、爆音(中心パンク)から、複雑な音楽性(境界パンク)へと移動する。
■ 境界 中心。このふたつを幻想をおいもとめていったりきたり。これが幻想の、流行の移動の正体だとおもうわけなんです。そしてまたゼロ年代後半にむけて、いろいろなひとたちがいろいろなおもわくでいろいろやりはじめとるんじゃないかなあと。この二つのニュースをみておもったわけなんですよ。
■ プロデューサーは、こういった流行の変化をみきわめるのが仕事なんだとおもうので、たぶん自分なりに、こういうマップをつくってんだろうなーとかおもふ。
■ しかし今ふと思ったけど全然マップの考察してねえや。これただニュースへのコメントだ。あはは。まぁいいや。また暇なときにかきます。うそです。暇じゃないときにしかかきません。現実逃避のエネルギーってものすごいですね。自分でもびっくりです。
*1:ここで話を小難しくすると同時に、論理を飛躍させます。幻想とは、日本における宗教の代理です。古来日本はアミニズムであり、一神教の伝統はなかった。それゆえ、明治時代以降国をまとめるときに持ち出したのが、万世一系天皇を頂点とする中心原理でした。しかし、次第に70年代を決定的に崩壊し、日本は中心原理を失いました。■ しかし、人が生きていくには、現実だけをみていくのはつらい。他の人と、共通点をみいだしたい。グループをつくりたい。そのためには中心原理が必要です。その中心原理こそが、幻想の正体であります。■ 一昔前では、その幻想が、「思想」という言葉で成立していた。しだいに言葉に力がなくなり、「音楽」にとってかわられた。そのなかで、ロック雑誌も衰退していく。これは余談ですが.
*2:それは今まで日本に生まれてきた有象無象の「族」の隆盛衰退をみればわかります。また、日本人があきやすくさめやすい種族であるところをみても。これは結局、歴史が存在せず、かつ、中心原理が言葉で説明しにくい、グループは、万国共通、衰退してしまうものなんです。キリスト教は歴史が存在する。共産主義は思想が存在する。ゆえに続いた。
考察編おまけ 「次の幻想は「電気系ボサ」(断言)」
■ 俺が今次にくるとおもってる幻想は「文系による完全理系原理主義」だとおもってたりしたりする。幻想のいったりきたりにあきてきた、ぼっちゃん層は、そうそう変わらない科学原理に、心のよりどころをもとめたりしたりするのではないかなーと。その兆候は、宮台たんのサイファ覚醒せよ!―世界の新解読バイブル」とかいう劇怪しい本に出てたり。科学萌えな速水(元おくさん)とかいう頭の悪そうな人との対談です。科学萌えな人はよむといいよ。ほら、科学の原理ってそうそうなことでは、かわんないじゃないですか。*1。で、ASIMO萌えとかがくる。
■ あと、日本の過去の栄光を考えるに、技術力で世界にほめられた!ってのが鮮明に日本国民のなかに残ってるだろうから、そういうのも技術萌えのひとつになる。
■ でも大事なことがある。幻想の偶像についてだ。メガネはだめだ。理系はメガネをかけてるばっかではないので、そうなると今度メガネのかわりにくるのはなにかっていうと、「ぼさぼさヘアー」。これ。これくるよ。みんな。いまのうちだよ。まねすべき。まじ。
■ アジカンとかバンプとか先取りね。うん。流行の最先端だね!
■ ボサヘアをリーダーとした「電気系ボサ」。これは勘違いしてはいけないのは今の秋葉系とは違います。秋葉系はもはや不潔なアニヲタに占領されてしまった。そうではない。電気系ボサは、不潔ではない。ただたんに数式を愛し、ただひたすらロボットを作り上げる。
■ そんな人が戯れに、理論的に音楽をつくる。エレクトロニカっぽいやつを。科学の追及としての音楽。どうよ。萌えじゃね。萌えじゃね。ぼーっとしながらエレクトロニカを作る。
■ マップでいうと、右上の音楽聴かないor洋楽オンリー層の人たち。彼らは邦楽、もしくは音楽を聴かないから、理論を教えられたら、そのとおりに、流行とか関係なく音楽を出す。
■ そうなったときに今いるひとで誰が近いかっていうと。東京ザヴィヌルバッハとかも入るんじゃないかと。菊地成孔ブームがすごいことに。どうよ。菊地さん、最近洋楽っつうかアジアの音楽とかしかきいてないっていうし。まさに右上の層。電気系ボサを体現していただき、メガネブームの終焉をはっきりとしていただくために、菊地様にもメガネをお外しいただかなければならないのは心苦しいのですが。よろしくおねがいします。なにを。
■ まじくるんじゃねーの理系ボサエレクトロニカ。電気系ボサブーム。しってたかおまえら電車男がうけたのだって、文字に電気の「電」がはいってたからなんだぜ。すげえ。
■ 俺がいつもぼさぼさヘアーだからブームがきてセットするの面倒にならないですむといいなあとかは別に思ってない。ぜんぜん。まったく。これっぽっちも。*2