Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

メモ

  • 学校化に対する青春パンクやJヒップホップと、キリスト教に対するレイブカルチャーやテクノは同じである。異なる共同体を接続し、一つの大きな共同体として結びつけ、国民国家を達成するために、西洋ではキリスト教が利用された。ゆえに近代化に成功し、G7は日本を除いてキリスト教文化圏の国となった。日本においては当初、キリスト教のかわりに近代天皇制が用いられていたが、70年代に崩壊する。その際に用いられたのが日本の学校化であった。画一的な、大学を頂点とした偏差値教育、ヒエラルキーこそが日本の日本人であるための軸となった。
  • そういった、中央の軸に対する反発としてアメリカではヒッピーカルチャーが70年代初頭におこる。それはレイブカルチャーにつながり現在に至る。
  • 日本では、レイブカルチャーがうそ臭いものであるのは、そういったキリスト教の文化がないからであるとはよく言われることだ。日本においての中央の軸にたいする反発はじゃあなにかっていうと、学校化にたいする反発であろう。そうなると、見えてくるのがDQN文化であるところの青春パンクやヒップホップである。
  • つまり、キリスト教は武士道の上につながったではないが、レイブカルチャーは反学校化社会の上につながったのである。
  • その二つの文化が共通としているのは、レイブによる集団への融合感である。いや、集団というよりは、人間であることへの融合感なのかもしれない。文化が違う人間同士が唯一融合感を抱けるのは、つまり「人間」という枠に自分たちがいるということを実感として受け取ったときだ。肌の色では、小さすぎる、宗教でも小さすぎる、ましてや偏差値なんてもので区別されたひにゃたまらない。同じ人間だ俺たちは、というわけだ。
  • だが、外から見れば結局そいうった文化だって、「狭い集団」のなかで幻想を抱いて盛り上がってるに過ぎない、としか見えない。となると、そういったレイブカルチャーに融合できない人間でまた新しい、アンチレイブな文化をつくろうとしていく。それがエレクトロニカにいたる道だったりするのかもしれない。
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