Leanな生活について考えるブログ

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データベース的思考は結局「もっと大きな歴史」思考なんじゃん

最近の文学が大きな歴史を抜け出してデータベース的になっているというまあ最近よく聴く話を考えていて思ったんだけれども。これってユングが集合無意識と名づけた領域が人間には広くそなわっていてそこがあるからどんな神話も同じような構造になるっつうはなしと同じなわけで。これを自分的に解釈すると脳みその無意識の奥深くに集合無意識があるっていうのは、人間の脳みそがある共通の枠組みを黒人白人黄色人種とわず共通のフレームを持っているってことに他ならなくてこれは大きな歴史なんて嘘嘘と気づいた現代人がじゃあ「大きな歴史」じゃなくてなんなんだ?と思ってさらに「もっと大きな歴史」を探した結果、たどりついたのが集合無意識みたいな、脳みその奥不覚的な何かだったっていう。生体的ななにか。最近のサプリメントブームとか、わかりやすい科学ブームとか脳みそブームとかそういうのってすべて、「大きな歴史」を見失った人がさらにもっと、土台がしっかりしてる科学とかそういう「もっと大きな歴史」に身をゆだねた結果だったっていう。神話はその国でしか通じないけど科学は全人類にだいたい共通だから。んでなにがいいたいかっつうとなんかポストモダンとかで「大きな歴史」を離れたとかいってるけどじつはさらに「もっと大きな歴史」を探し当てたって言うだけの話で、データベースってのだって結局データベースって言う枠組みを信じているわけなので、それこそ構造的には実はあんまかわってないんじゃねーのっていううわーい。ひさびさにこんなんかいた。

だから最近の若者がまた超越的なものにひかれていってもなんも驚くべきことじゃない。それは物語に求めているんじゃなくて自分の中の脳みその中にある確かななにかが作る物語を信じているからです。それは魂だったり、だからこそ「国家」だったり「日本」だったり、「学生団体」だったり、「アニメ」だったりするだけです。