Leanな生活について考えるブログ

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【漫画】 「ヤサシイワタシ」 ひぐちアサ

【STORY】
 
純情な元テニス少年と、
写真サークルの要注意人物である先輩女性の間に始まった、
危なっかしい恋愛は周囲の予想どおり波乱の日々へ突入。
将来への不安と自負、秘めた恋情がヤエを振り回し、
暴走したヤエはセリウの手を離してしまう。
熱情と静観の果てに、彼女と彼を待っていた結末とは。
ジェットコースターラブトーリーから生と死へ。


【INTRODUCTION】
 
 このマンガは恐ろしいほどリアルに空気を書き込んでいる。台詞まわしは実際の会話を録音してきたか、とおもえるほど間の書き方がリアル。そのせいでもはや、何を言いたいのかわかりにくいところが多い(10回は読み直してるがまだ意味がわからない台詞もある)が、そこものりこえさせるほど、会話に魅力がある。生きた会話。また、たとえそれら台詞の意味がわからなくても、彼らの表情でなにがいいたいかはなんとなくわかるのだ。お世辞にも描画力はあまりうまいとはいえないにもかかわらず。表情、行動のデフォルメ化がうまい。
 台詞。行動が生々しいから人の存在がやけに生々しい。そして作り物に見えないから物語の先読みをさせない。本当にそこに彼らがすんでいる、かのように思わせる。それをリアルタイムで見ているような気分にさせる。それゆえに中盤で衝撃をうけるわけだが・・・。
 決して物語としてはひとつの事件を除いて何か派手な事件がおきるわけではない。だが、そいういった台詞のうまさで一つ一つの事件が重い。ズシンとくる。
 そのずしりとした痛みを主人公がどう回復させていくか・・・そこが終盤の見所だ。
 軽く読んでも、大学生の楽しい気分が伝わってきて、もう一度大学生活をおくりたくなる(今俺は大学生だが)。重く読んでも、考えさせられる。
 とにかくお勧めのこのマンガなのです。
 下からは俺なりのこの作品の解釈がのっているけれど、ネタばれしたくない人は読まないほうがいいかもしれない。
 
 
 
 


【REVIEW】 
 
・ヤエの話 
ヤエは大人になれない女である。また、同時に過剰に大人になろうとする女だった。(*1)自尊心が保てるほどほめられず、だから、ほめられようとする。過剰に大人であろうとする。一人前になることにこだわる。一方で、社会に出ることを拒否する言動も目立つ。
 社会を拒否しながら、社会に受け入れられようとする行動をくりかえす。自分の感覚を絶対だとおもいこみ、社会の感覚をうけいれず、自分の感覚を社会におしつける。自分の感覚が社会のなかでどんな状況にいるか、冷静な目でみることはできない。だから社会のなかで彼女の感覚が市場的価値を持つこともない。てっとりばやくいえば彼女の作品はまったく「売れない」。
 承認を得られなかった彼女にはそもそも「自我」が芽生えない。自分がこうあるべき、とか、そういったものがない。だから「ほめられたい写真ばっかり」になる。(*2)
彼女の時間間隔は「自我」がないからループする。「近代的自我」をもつ「大人」のように時間が前に進んでいかないのだ。
 
 
・ヒロの話
 ヒロは大人になるはずの男だった。だがテニスでの事故という、世界のきまぐれで大人になるというレール、前に進む時間の流れ方からおっこちて、ループする時間に巻き込まれる。そんな大学生活で、ヤエに出会う。同じループをまわっていて、そして同じく前にすすむ時間にのって、大人になることを願う同じ人間に出会う。
 そして彼女に、自分の鏡像を重ね、彼女と一心同体になった。彼女を、大人にすることで、自分も大人になろうとする試みを自分の心の中のどこかでしていた。
 
 
・二人のすれ違い
 だが、次第にすれ違いがうまれる。彼は本来「大人になることが『できる』」人だった。彼女は本来「大人になることが『できない』」人だった。
 彼は彼女を頼らず自分の力で大人になることができる人間だった。「いいものをいいとおもってやりはじめるしかないです。」(*3)という台詞は、何かを選ぶということが無意味だとはしりながらも、とりあえず選択するという、決断ができる人間である証拠である。彼はヤエにふりまわされ、一瞬、彼女を手放してしまう。彼女を必要としなくても、大人になれる余裕があったから。
 だが彼女にはそんな余裕はなかった。彼女は焦る。また、父親においていかれたみたいに、おいていかれる。早く「大人」にならなければ。ひとりの力で、自分のやりかたで「大人」にならなければいけなかった。
 それは「死」という「通過儀礼」である。
 昔の日本人がループする時間の中に生きていたといったが、それだけではあたりまえだが「大人」という次のループする場所へはたどり着けない。かれらは階段のように上の世界へと、「通過儀礼」という過程をへていっきにのぼるという「技術」をみにつけていた。「内部」から「外部」へいくためには、仮想の死という象徴をへなければならなかった。
 彼女もまた感覚の人間である。彼女はヒロに必要とされなくなったことを直感的に悟る。自分がいなくてもこいつは前に進むんだということを知る。そして、また彼女は自分ひとりの力で、「大人」になろうとする。自分なりの「通過儀礼」をとりおこなう。彼女は上にいきたがっていた。だが、通過儀礼の先は「大人世界」という上の世界ではなく「仏の世界」という上の世界。つまり死の世界だった。彼女は「大人」ではなく「異界」へといってしまう。
 
 
・「ヤサシイワタシ」になること
 皮肉なことに、ヒロはこの事件を通して自分の仮想「通過儀礼」を開始させる。彼女は彼の「人身御供」だった。彼女の死に感情移入することで、仮想的な「自分の死」を体験する。
 物語の中途スミオといういとこの女の子が唐突に登場する。やえの死と入れ替えに。スミオはヤエの代理としてあらわれる。スミオはヒロにむかって「自信もてなくてしょーがないひとのことはわかっていない」と言う(その後ヒロに「それは自分のことでしょ」(*4)と言われている)。スミオもまたループする時間に閉じ込められた女の子である。大人になれない女の子。
 ヒロは、そんなヤエの代理としての存在が、自分の力で大人になる手段を手探りで自力で模索していく姿を見つめる。そして彼女に「わたしのいるところは安全だってことをみせてあげる。わたしが安心させるから一緒に帰ろう」といわれる。
 その言葉でおそらくは彼の通過儀礼は終わりを告げようとしていたのだろう。スミオが大人になる手段をみつけることで、自分のはたせなかった「ヤエが大人になることで自分も大人になる」という代理をみつけたのだろう。彼は最終話、彼女の告白をうける。実際にこの後どうなるかはわからないが、彼はこの時点で、ヤエでのあやまちをある程度の部分とりもどせたのではないか。
 彼は最後に死んだヤエに対して「あんたのような人たちも、あんたの周りにいる人も、どうか、ヤサシイ私でいられますように」(*5)といっている。
 彼は「ヤサシイワタシ」になれたのだろう。そういった通過儀礼を通して「大人」になりかけているのだろう。ギラギラと危険で、あぶなっかしいティーンの時代から、次の期間へと移行しようとしている。
 
 
・僕たちの話
 僕たち、若い世代は「大人」になりにくい時代を生きている。そんな中生き残るのは、一握りの自分なりの通過儀礼を完成させた「やさしい私」か「大人」になるのを諦めた「大きな子供」しかいない。もっとうまくやれるのか。どうすればもっとみんな「やさしく」なれるんだろう。どうすればヤエもヒロも「やさしく」なれただろう?
 きっとそれは、自分だけを頼らず、人に頼って、人に頼られて、お互いを「あきらめない」で支えあっていくことだとおもう。しっかりと手を離さずに。
 移ろいやすいこの世の中ではひどく難しいことだろうけど。


注釈
(*1)上P145「稼ぎもないのに月7万5千のとこにすんでちゃだめでしょ」「あんま話さないよ好きな本のこととか・・・だって話し合わないとイヤなの。相手ばかにみえちゃうんだもん」といったできる「大人」の発言をしているかとおもえばほとんど社会性のない数々の行動の対照性。
(*2)下p61「あなたの写真はほめられたい写真だと思う。
(*3)下p86「いいことをいいって言っちゃってやりはじめるしかないです」これが彼女にいったほとんど最後の言葉ってのも象徴的。
(*4)下p185
(*5)下p264


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