キリストが合理的じゃないから近代文明ができたのだから、社長の発言は合理的じゃないほうが良いのだろう
やっぱりふしぎなキリスト教 (大澤真幸THINKING O)
- 作者: 大澤真幸,橋爪大三郎,大貫隆,高橋源一郎
- 出版社/メーカー: 左右社
- 発売日: 2012/11/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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なぜキリスト教文明が近代化に成功したか。それはキリスト教を信じる人々が、合理的に考えたり行動することが思う存分できたからではないかと思います。ではなぜ、合理的に考えたり行動したりできたのか。それは聖書とかキリスト教の考え方が十分合理的ではないからだと思います。これがイスラム教、あるいは仏教みたいに、言っていること自体が非常に合理的にできていたら、その経典に書かれているように考えたり行動したりすることが、すなわち合理的であることになる。しかしキリスト教ではそうではなかったから、合理的であるとはどういう考え方なのか、どういう行動なのか、試行錯誤しながら実験することが出来た。
もともとキリスト教って、ユダヤ教みたいな厳格な法律をもったものに反発してでてきたので、世間の厳格なイメージと違い、割とゆるい部分が多いようで。
これって会社とかでもそうなのかも。リーダーがやたら合理的すぎる人だと、それ以降発展しないわけで、ある程度方針が正しくあと人望が厚ければ、言っていることは矛盾していても、部下が自由に解釈できる余地があるほうがうまくいくかもね。