過ぎ去ろうとしているゼロ年代と過ぎ去ってしまった80年代・90年代
凹村戦争を今読んでいておもったこと。
凹村戦争と東京ガールズブラボーが完全に並列に見える瞬間が訪れたような気がします。いやもともとそういうにゅーあかっつうんですか、そういうのを感じさせるお話だったんですが、でも確かに感じることができた「新しさ」が古びてしまった。
そりゃそうですよね。ゼロ年代後半ですもの。気づけば。だいたいゼロってなんだよ。0じゃなくてなんでカタカナでゼロなんだよ。ゼロからはじめよーよー。ZEROカロリー。ゼロス。ゼロムス。かっこつけすぎです。
いやそう感じている人たちがもうすでにさいしょっから多くいたのは知っていますが。
そしていいもわるいもなく、誰かが話した言葉、希望、夢が実現できそうもないなーと実感するだけの話です。そして現実的に実現してしまった夢は空気を作りだすだけのエネルギーをもっていない。そうやっていつも時代の空気みたいなのはうつりかわっているだけの話っです。
来るべき10年代の雰囲気ってなんなんですかねー。もうそのころにはなんとか年代の空気とかを感じ取るだけの感受性は滅びているのかもしれませんが、できればまたゼロ年代の空気感にふれておおおってなったときみたいに、色々感激してみたいです。思春期みたいに。