Leanな生活について考えるブログ

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PVにおける加速と減速と人生の意味

VIDEOのエフェクトの種類に時間に対する表現というのがある。早回しとかスローモーションとか。PVなどにもそれらは本当によくつかわれているが、なぜ表現者はそのエフェクトを表現としてえらんだのだろう。
それらによって動画の質はどういう風に変化し、見る人にどのような印象を与えるのか?その印象はどんな音楽とシンクロするのか?なぜシンクロするのだろうか?



ビートクルセイダーズのnice dayのPV。
まさかそこまで遡ることになるとはおもっていなかった後半。映像の見せ方として面白い。人生圧縮時代圧縮。でもこれみると過去と現在のつながり感が直感的につたわってくる。

加速は圧縮だ。まとめサイトだ。サマリーは加速だ。
加速表現のひとつのコンセプト。

じゃあスローは?詳述だ。

ビルヴィオラの作品に「グリーティング/あいさつ」(1995)ってのがある。女性が友達としゃべっている。そこにその友達の知らない、別の女性の友達があらわれ、会話をしはじめる。そのときの最初にしゃべっていた女性の微妙な表情、関係性をスローで撮った作品。(上の動画は別のやつ)

ルールの拡張。現実の複雑化。ここでわかれるのは、もしもともとそこにたいした意味がないなら、どんだけ拡張しようと、情報は増えないということだ。もしくは視聴者が読み取ろうという意思なければ情報量は増えない。

そう、加速、減速のみの問題ではない。見る人の理解力、理解しようとする意思が関係する。

見る人の理解力がなかったり、ただぼーっとみてるぶんには、加速することで、理解不可能になることが多く、また減速することで、理解可能になることが多い。たとえば、早すぎて作業の内容がわからないとき「ちょっとゆっくりやって」といって、理解可能な領域をふやそうとする。



このビートクルセイダーズのpvが面白いのは加速することで、普通の人間にはなかなか理解できない、イメージすることができない大きすぎるものを理解可能にさせている。それはなにかって、つまり「人生の全体像」だ。こういった大胆な省略は、まさにロックミュージックにシンクロする。転がる岩のような人生。社会なんてクソだし、たいしたもんじゃないけど面白い。きもちわるくくねくんねと複雑化する社会に対する簡潔で鮮烈なイメージの提示。

逆にビルヴィオラのほうは、当たり前のように理解しているつもりになっている日常生活を超スロースピードで見せることで「理解不能」なものへ変換させている。しかしぱっとみせられた瞬間には理解不能でも、我慢強く見ているとだんだんと脳が処理可能になってくるのがわかる。ひとのわずかな表情の変化に、なにか心動かされるようになる。この一見、理解不可能な情報を理解可能な情報へと可能にさせるイメージはジャズを思い起こさせる。ポップスによる簡潔、理解可能であるとするイメージの社会にたいして、一見意味のわからない、しかし背後には深い法則をもった情報をぶつける。前衛的アート表現。

人の脳に混沌をもたらすか、単純化の方向にむかわせるか。両方とも人になんらかの感動を与えることが可能だ。そして、聞き手の態度もポイントだ。聞き手が自分の人生をどうしたいのか?によって選ぶ世界観は違うだろう。ただ受動的に理解不可能な世界を求めるなら、スローにしてがんばって解釈するより、高速化し、ある快感的フレーズがくりかえされるが、全体としては理解不可能になる電子音楽が最適だ。

日々、日常が退屈で、もっと意味不明なものにしたいという人と、日常が意味不明すぎるのでなんとかこれを把握したいという人と。このへんで趣味志向はわかれるような。

  1. 加速
    1. 情報に対して能動的な人にとって → 単純化による理解可能性の増大 →単純化(ロック、パンク):単純に編集l、カリスマ的一言
    2. 情報に対して受動的な人にとって → 理解可能性の減少 → 複雑化(テクノ):ランダムに編集、タイムジャンプ、けむにまく
  2. 減速
    1. 情報に対して能動的な人にとって → 慣れない新情報多数登場のため理解可能性の減少 → 複雑化(ジャズ、現代音楽) :村上春樹、わかりきった日常が変化
    2. 情報に対して受動的な人にとって → 冗長化による(ようやく)理解可能性の増大 → 単純化(ポップス、バラード):絵本をゆっくり読む、わかるようにつたえる

加速、減速これらを動画のエフェクトとして使うことの意味を色々考えてみた。

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