メモ3:日本におけるプレモダン=ポストモダン
- ちなみに日本においてはもともと「精神」を神聖視するような文化はほとんどなかった。というよりもモダニズムのなかでいわれる「精神」の神聖視というものがヨーロッパ的な独特なものだったのだから、そいういったものはなくて当然だった。
- 「記号化」そのものは人が商業活動をするにあたってあたりまえであった。ただ「神聖」なものを頂において、倫理観のうえに活動をするという風習が日本には伝統としてなかった。もちろん道徳というものはあったが、それはあくまでも共同体としてのルールだった。なんだかよくわからない、神というものを頂点において、そのうえになりたつ倫理なんてものはなかった。
- モダニズムからポストモダンにかわったとき一番かわったものが、倫理観であるとするならば、日本がポストモダンの時代になって、われわれの時代だといえたのは、もともと倫理観のない世界にいたからであった。
- プレモダン→モダン→ポストモダンという流れのなかで日本においてはプレモダン=ポストモダンだった。さらにいえば明治時代における国民国家の生成のなかでのモダンという時代においてだってたいして中身はかわりはなかった。代わりはなかったんだけれどもあるふりをして、列強の一部に加わっていた。でもよくわかってなかったから、第二次世界大戦まで国土の拡大とか、前期モダニズムのようなことをいっていた。