Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

  1. 死の自己決定権を、共同体(想像上の、慣習的な)に預ける。
    1. さらに共同体が、自己に死の決定権があると設定する
    2. もしくは共同体が、共同体に死の決定権があると主張する
  2. 死の自己決定権を、自己(想像上の、選択帰属の主体性)に預ける。
    1. さらに、自己が共同体に死の決定権があると主張する
    2. もしくは自己が自己に死の決定権があると主張する。
  • この4つってほとんどおなじことなんじゃねーのか。1-2が共同体主義者で2-2が宮台とかの公義のリベラリストがいうこと。選択帰属の主体性ってのも、なんだかしらないけど無知のベールとかいうやつを設定した幻の自然状態で、想像上のものなんだから。結局どっちも共同体主義なんですよね。よくしらないけど。ついになんか本当に理系とは関係ないところにきたので、このへんはびくびく。しかもたぶん今更の話なんだろう。いや、最近宮台の本読みなおしてたら、ちょっと違和感があったんで。
  • あーただ、共同体主義者には1-1という発想はでてこないだろう。
  • いや俺もどれが優れてるっていえば、2だとおもいますよ。なにより争いがおこらないという意味で。ただ、どちらが簡単に幸福になれるかという意味では、1の選択だとおもいます。今の理解では1がルソー的で2がホッブズ的?わけわからんちん。
  • 自由という概念は、因果帰属(彼はなんらかの自由となりうる原因があるので自由)ではなくて選択帰属(偶発性が主体に存在するかどうか)のものであると社会システム論者は主張する(らしい)。選択帰属が想像上のものである。つまり意図的に想定したルールである。太郎がなぐるかなぐらなかったか、それは主体にとっては、選択できない行為だったのだが、他人から見ると、殴るか殴らないかは2分の1。自由があると、他人がみなしている想像上のものである。そしてそれが法律である。
  • 因果帰属に基づく考えは素朴なものであり、横の力のものといえる。そして、想像上の選択帰属に基づく考えは、もはや横の力を超えた縦の力である。法律とは、神無き時代の縦の力なんだな、とおもった。縦の力の使い方があってるかはこの際おいといてください。