Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

アクセス数

個人サイトがアクセス数というものを計測できるようになった瞬間、管理人は自らの成長物語という物語を発動させることになります。
 
アクセス数とはいったいなんなのか。「自分の書いた文章をよんでたのしんでもらいたい」という本来の意味をかんがえれば、自分のサイトを一定数の人々に見てもらえればそれでいいはずです。そのアクセス数が増幅することには、意味がないはずです。たしかに自分が想定した人数にまだ達していないから、その想定した人数まで増幅してほしいという願望のために、「アクセス数」がのびるということを望むという、理由も考えられます。ではいったい、何人のアクセス数が適正なのでしょうか?目標設定はなされているのでしょうか?ほとんどの人は、定数というよりは、日々の増加自体に喜びを感じているのではないかと思うのです。
 
それは、「増加」こそが「成長物語」のもっとも重要なところであるからです。サイトの運営という趣味が、決して読者を楽しませるということを純粋に目的にしているわけではなく、自分の成長物語を完成させることを目的にしているところにポイントがあります。そのために、読者の増加が必要であり、「そのために」面白いことを書く必要があるのです。
 
「自分は読者に純粋に楽しんでもらえればいいよー」とか「自分のエンターテイメントをみせつける!」という人は少数、もしくは建前であるのです。もしも「エンターテイメントをわかってくれる人だけにわかってもらえればいい」というのならば、アクセス数なんて気にしないはずなのです。
 
だが、一時期のネット界ではアクセス至上主義なるものがうまれ、どこかでニュースサイトがはやれば、ニュースサイトがはやりVNIがはやれば、大量のVNIがはやるという有様でした。
 
その中でアクセスランキングサイトや、READMEがうまれました。これらも決して「自分のサイトの宣伝」というよりは、「成長物語の終着点」を見定めるものとして成立していました。「成長物語」の極端な例であるドラゴンボールが、敵最強インフレに悩まされたとおり、アクセス成長物語においては、到達すべき地点が見えにくかったのです。
 
多くアクセスをてにいれたからといって、お金がはいるわけではないのです。それらのために、「アクセス数」を気にする人々はある種、新興宗教のなかで、トップ争いをしている人々にも見え、一般市民からは気持ち悪がられることになります。
 
最近では、あふぇりえいとが一般的にはやりだしたので、「あー俺金のためにアクセス数ねらってるから」と、言い訳できるようになりました。
 
そう、世の中でもっとも、納得される「成長物語」はあくまでも「金」の物語なのです。最近ではそれすらも「馬鹿じゃない?」といわれる傾向にはありますが、やはり「金」はなんにでも交換できるわけで、実際に「楽しいこと」ができる魔法の切符なので、万人にどちらかというーとうけいれられやすい物語です。
 
まぁそれ以上に受け入れられやすいのはスポーツの物語なんでしょうけど。
 
みなさんも「アクセスカウンタ」を手に入れた瞬間に、その成長物語の魔力に引きづられて、アクセス成長物語をはじめないように気をつけたほうがいいと思います。
 
主に俺が。
 
いまさら香ばしいねただとおもうんだけれども、個人サイトからブログになっても、そのへんの感覚はまだのこってんかなーとおもって今更自分的まとめ。