Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

なにかの隠喩(たぶん自意識について、もしくは伝統について)

みんながオシリに紐つけてそのさきに空き缶をつけている世の中があったとする。なんかうるさいし意味ないけどそんなに邪魔でもない。もう1億人ぐらいがみんなつけているから、まぁいらんかもーとかおもいながらつけている。みんながみんなつけてるから、もうそのがらがらをとりつける商売とか空き缶の種類をかえる商売とかできあがっちゃって、そうやって世の中がまわってる。あかちゃんのころからつけられるから、みんなそれが変だって気づきにくいし、気づいたとしても周囲の目がきになってはずせない。例え自分が勇気をもってはずしたとしても、子供がはずしているといじめられてかわいそうなので「それがルールってもんだ」ってはずすのをやめさせる。しまいにゃ、がらがらの音が人間の脳みそにいいんだ!とか、精神的修養のためであるとか語りだす偉そうなおじさんがでてきて、みんななるほどそうかと納得したりなんかして。そういう文化をもっていない人から、「それへんだよ」ていわれると、「へんかなー」とおもっても「いやこれがかっこいいんです!」って言い張る。外人も「かっこいいかもしれん」とかおもって真似する人もでてくる。そもそもひものさきの空き缶をおしりで引っ張るとはなんなのかを歴史的に研究したりする。
 
空き缶が邪魔だという感情を、どうやっておさえればいいか、どうやってそれを乗り越えるか、それを考えることが人生の目的になる。それが生きがいになる。生きる目標がうまれている。
 
この世の中にとって空き缶はいいものなのでしょうか?わるいものなのでしょうか?