Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

欧米の「個」の倫理、日本の「場」の倫理

ハリウッド映画、個人的には苦手なのですが、邦画にくらべるとストーリーの完成度がたかいことは認めざるおえません。イノセンスが賞をとれないのも、あのわかりにくいストーリーのせいであることは否定できません。作者は納得してるのでしょうが、説話的説得性にかけるといえます。
 
それは日本人が空気を読むのが得意な民族であることに関係していると思うのです。 
 
日本人は空気を読むのが得意であり、それが結果的に「場」の倫理とでもいうべき、少ない周辺の仲間どおしで固まる集団のつくりかたをするといわれます。一方、欧米人は、個人が自分を主張し、互いに個性を発揮しながら、ルールで集団を律する「個」の倫理がつよい集団のつくりかたをするといわれます。
 
「物語」を読むことが、空気を読むことであり、「物語」をつくりその物語にみなをのせることが「場」をつくることである、と先日書きました。*1だとするならば、まさに日本人は「物語」を読むのが得意な種族であり、欧米人は自らが書いた「物語」を発生させることが得意な種族であるといえるのではないでしょうか。
 
欧米人が物語を作ることにたけているのは、ハリウッドでの例をみればわかるとおり、日本人と違いストーリーテリングの能力がやたらに強いことからもわかります。また、ブッシュの説話的な「我=正義、中東=悪」の構図を作り上げ、世界を巻き込んだことからもそれはいえるのではないですか。欧米人が、ディベートを好むのも、お互いが自らの作った物語を主張し、のせようとするからでしょう。それは幼少期からの訓練で培われるらしいのです。彼らはディベートの型、たとえば最初に物事を主張し、その理由を3つで説明する、などの具体的な型を身に着ける訓練を徹底的にするといいます。ディベートの型とは、まさに物語のパターンです。よく、こういったディベートで論理的思考を養っているというが、厳密に言うところの論理的能力を欧米人が身に着けているとは思えないことがあります(もちろんそういう識者は圧倒的に欧米が多いでしょうが)。それはブッシュの作った物語に穴だらけであることからもいえるわけです。むしろ、そういったテクニック、つまり説話的説得性が重要視されているようにみえます。たとえば、理由をおもいつかなくとも、とりあえず「3つある」と主張するようなテクニックであったり、あっていようが間違っていようが、他人と違う意見が尊重されたりするところであったり。
 
逆に日本人は物語を読むほうが得意です。それは農耕的な村社会でいきていたこともあるのでしょう。その辺の話はよくいわれてることだから割愛します。古来の日本人は決して村人は物語をしなかったらしい。それは<外>からやってくる<神>がことば(託言)を残していきました。それはシャーマンを通して村人に伝えられ、そして村人はそれに従い、まさに物語を読む、空気を読むことで安全に生活を続けることができました。物語を村人が語ることは危険な行為であり、それは許されざる行為でした。おそらく日本人がものをかたらぬのは、乱暴にいってしまえばその名残なのです。
 
近代日本にとって外から来た物語をするものは、欧米人だったのです。そして、神はふたつにわかれてしまった。天皇と欧米人。そこからが「むちゃくちゃ、アンバランス」な悪しき円環の日本のはじまりです。
 
多少話しがそれたのですが、日本人は空気を読むのが得意な分、自らが物語りを作り上げることになれていません。やることができる人は、上流の人々、もしくは神に近い、カワラモノ、最下級の人々。おかげで決して建設的に物語を語る技術というものが発展することはなかったのです。
 
一方欧米人にとっては、古代ギリシアのころから、政治で周囲を説得する技術は、喜劇を作る技術と同列に発展してきたのです。アメリカの時代になっては、異民族同士のぶつかりあいでますます、自らの物語に相手を乗せる技術は磨かれていきました。結果庶民レベルで物語を作る能力は向上したといえるでしょう。 
 
そういうわけで日本が空気を読むことが得意であることと、ハリウッド映画のストーリーの完成度が高いことは関係しているといえるわけです。というよりも、今の日本の混乱が、上から伝わる物語の混乱から生まれているとするならば、日本人が庶民レベルで世界に通じる物語をかけるようになったとき、日本は悪しき円環からぬけだすときなのかもしれません。それは一人一人が周囲の空気を読まずに、自らの物語を発動させるときなのです。
 
参考文献

俳優になる方法 (寺子屋ブックス)

俳優になる方法 (寺子屋ブックス)


このタイトルに反して中身は、にほんにおける物語の起源についてのまじめな考察。演技については後半にちょっとあるだけ。買った人は驚くおもわれます。

読み返すたびにおもしろい。