科学も悪しき円環をまわりつづけるのか
日本における現代芸術が、近代においてその誕生の際に、西洋の技術、概念を、日本に存在しないもので、「めちゃくちゃ、アンバランス」な状態ででっちあげた、そのときから、ボタンの掛け違えがはじまったとするならば、科学の分野においてもそうであろう。
現代において科学は、社会システムに直接的に関与しないために、その悪しき円環上に存在していることを忘れがちである。科学はまるで地球上のすべてのひとたちを社会のしがらみ関係なく結び付けているようである。
だが、科学による発明が日本の中でつくられる「創発」である限り、その影響をうけざるおえないのではないか。具体的には、日本において日本から誕生する発明が少ないのがまさにその理由なのではないだろうか。