Leanな生活について考えるブログ

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【映像】 アート系映像作品が「売れない」理由における、音楽作品との比較について

先日POWERGRAPHIXXXのDVDを買いました。パワーグラフィックスってのは、日本の映像製作グループで、ベクターをつかったフラットなグラフィックを作るひとたちなんですけれども。もちろん買って超満足で何度もループして流しっぱなしにしてるんだけれども。




さて、こういうアート映像DVDは日本では、以前よりは売られるようになったものの、いまだほとんど売れていない。大ヒットとなるにはいたっていない。ちなみにこの場合のアート映像作品というのは「映画」作品を含まない、ごく短い抽象的な映像作品のことをさす。

現状ではそういうアート系映像という種類の「作品」はもっぱらテレビの番組オープニングに使われるか、ミュージックビデオとして音楽の付属品として流通されるかのどちらかである。単体として商売になっているとは、いえないのではないか。

映像にたいして対応するものは音楽で、音楽はCDというフォーマットで流通している(最近ではデータとしての音楽配信というものもあるけれど)。

音楽CDというのは多少最近、商売に陰りが見え始めたとはいえ、やはりエンターテイメントの売上の中心でありもっとも手近なものだ。

で、音楽のそれに対応するものが、映像でいえば、こういう作品集だと思う。

だけど実際にはそういうものを買う人は限りなくごく少数。この違いはなんなのか。永久に映像作品はこれからも売れつづけない運命をたどるものなのか。

私は、そうではなく、ただ「音楽」文化にたいして「映像」文化がいまだ根付いていないという結果だと考える。





まず第一に、そもそもの映像、音楽の性質が違う可能性があるのか。映像は、音楽のように繰り返し愛好するものではない、可能性。

たとえば映画という種類の作品において、音楽のように何度も鑑賞するかということ。たしかに映画ファンと呼ばれる人々や、思い入れをもった作品があるひとにとっては、何度もみることもあるかもしれないが、それでも音楽ほどとまではいかないだろう。

何度も繰り返して見る必要がないものを、わざわざ購入することがあるか、ということだ。もちろんマニアやコレクターならば、見なくともいくつも購入することがあるだろうが、この話はそういった一部を対象としているのではなく、爆発的ヒットとなりうる、普段あまり映像音楽に興味がない層に買わせることが出来るかということについて考えているわけだ。

映画ですらそうなのに、ましてや抽象的なアート作品が売れるか。

だけれども。音楽作品にあって映画にないものといえば、やはり時間の短さ、であるとか、ストーリー性の薄さ、だったりするとおもう。そういった条件があるから、音楽は何度も聴けるし、聞き流すこともできる。「何度もつかう」ということが購入するのに大事な条件であることはいうまでもない。そういった意味で映画を購入するという行為は、映画を繰り返してみるという余裕のないニホンジンにとっては音楽ほどに定着しない文化なのではないだろうかとおもう。

そんななかでよく考えてみると、その「時間の短さ」と「ストーリー性の薄さ」をみたしているのは実はほかならなぬ、映像アート作品なのではないか。そう考えるとそういう作品が購入され、購入するという習慣が普及する可能性は十分にあるとおもう。




ならば、なぜ普及しないか。それは第二の考えられる理由として、作品がのるメディアの普及率の問題なのではないか。

音楽というものが一般大衆に普及する大きなきっかけになったのは、おそらくレコードという形態で売り出すことが可能になった20世紀であろう。もちろんそれまでにも、音楽を愛好する人々はいたであろうが、それはごく一部の、演奏会に通うことができる愛好家のみであり、これまで普及したのはレコードのおかげであるのは想像に難くない。

映像、という形が、そもそも作品として成り立ちはじめたのは、ぞーとロープ、ようするにパラパラ漫画の類がはじめであった。その後ビデオテープというものが発明されるにあたり、一気にメディアとして普及しはじめた。だがテープというメディアは単価が高く、購入というよりはレンタルの対象であった。

だがCD、そしてDVDというメディアが発明されるにしたがい、メディア一枚あたりの単価も急落し、映画なども昔にくらべて圧倒的に安い値段で購入することができるようになった。

つまりそれだけ、まだ映像作品というものが「購入」という形で普及しはじめたのは極最近のことといえる。ゆえに、CDなどにくらべると、まだこれから映像というものを愛好する習慣が普及する可能性がある。

音楽を愛好する習慣というものがもとよりあったものではなく、近代のメディア、流通の発達とともにあったように、映像もそうなるのではないか。


これから先、DVDなどが普及し、DVDを購入する若年層が増え、映像を見る習慣というものが根付き、映像愛好者の市場を拡大することはまだまだできるはず。





もちろん、ただこのままDVDなどの媒体が普及すればいいというものではない。音楽普及にさいして、音楽雑誌などのマスコミが、その音楽幻想を拡大するのに大きな役割をもったのと同じように(アーティストの伝説化や、音楽を愛好することを「かっこいい」という風潮を引き起こすこと)、映像作品にたいするそういう文化も、現時点で存在している以上に、これからもっと発展していかなければならないだろう。

また、映像作家側も、自己満足におわる現時点である映像作品集のようなものではなく、多少なりともマーケットを意識した作品作りが重要になるだろう。




音楽CDを購入することで何を買っているかというと、実は「そのアーティストのCDを買ってかっこいいと思う自分」を購入していることでもあるのは確かだ。ゆえにアーティストの音楽作品そのものではなく、アーティストそのもののグッズや情報が売れるわけだ。

今の映像作品を購入する層(自分も含めて)もそういった動機がまったくないとはいいきれなく、それどころか「そのアーティストの作品だから」ということではなく、「そういう「アート」作品を購入する自分をかっこいいとおもうこと」を購入しているという動機を持っていることが多い。もちろん作品自体が楽しいから購入するのがほとんどの目的であるのは間違いがないが。

だがそういったマニアだけがたのしむ現状では、大ヒットという現象には程遠い。CDなどが大ヒットになるためには、そういった層だけではなく、なんとなく耳にきこえて「かっこいい」とか「きもちがいい」から買ったという人々を取り込まなければ成らない。




映像作品において見ているだけで「たのしくなる」作品は本当に今あるのか。もちろん映画などはそういった種類のものだが、前述したように映像作品やCDのように繰り返してみたり、流して聞くものではないので、種類がちがう。

見ているだけで「楽しくなる」なおかつ「繰り返してみれる」「無意識に楽しい」という作品を作り上げることが出来るならば、それは映像作品の大ヒットとしての最初の条件をクリアすることになるのではないか。

そういった種類の映像作品になる可能性として現状では二つのものがある。「ミュージックビデオ」と「ショートストーリー」である。まだこの2種類は単独の「商品」としてヒットにいたることはないわけだが、これから先の流通の変化でどう化けるかわからないと思う。






コンテンツビジネスがどうのと現状でいってるなかで、まともに映像コンテンツを商売の種としているのは映画産業を除けば、広告というビジネスモデルをもった「放送」の分野だけである。それは、コンテンツを直接売っているのではない。笑っていいともは面白いが、それがひとつの商品として売れるかといわれれば、そうは思えない。そういった現状を考えると、映像を作品として売るなんてビジネスモデルが成立するか、という暗澹たる気持ちになる。

だけれど、音楽だって、ただ音楽を聴きたいだけならば、ラジオやテレビや有線の音楽番組を利用すればいいはずだ。だが、音楽においてそういうコンテンツを販売するというビジネスモデルがなりたっているのは、いわずもがな。そしてその理由としては繰り返しになるが、音楽を買うという習慣、言い換えるならば文化が存在するという点なのだろうとおもう。映像には今までそれがなかった。それがこれから、DVDという新しいメディアがあらわれ、そういったなかで、音楽のようなカリスマ性をもったアーティストが映像界のなかにもあらわれることで、そういった「文化」が生まれていくのではないか。


その「映像文化」が発展することを願うし、願わくば自分もその担い手になりたいと、思っていたりする。むずかしそうだけれどね。