Leanな生活について考えるブログ

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【WEB】 ソーシャルネットワークサービスとパノラマ的快楽

昨日今日と、ネットが回復して以来、GREEをずっと眺めたりする時間が多い。

ここで知らない人に改めて説明しておくとGREEとはソーシャルネットワーキングサービスといって、従来の不特定多数とのコミュニケーションを目的とするのではなく、あくまで個人の「知り合い」をネットワークしていくためのコミュニティサービスであるわけで。

簡単にいうと、友達の輪が見えるサービスだ。最近こいつにはまっていて、新しいリアル友達がはいってきてはコメントをかえしたりしている。

そんなことをしているうちに、これを楽しいと思う感覚とはなんなのか、という疑問がわきおこってきた。そして考えているうちに「パノラマ的快楽」という考えに思い至る。

ところで急に話は変わるが、美とはなんなのか。昔からこの疑問にとらわれてきた。それで一昔前に自分なりの考えをまとめるにいたった。

俺は普段から2種類の美について考える。「0」の美と「∞」の美。
そもそもなぜ人は美について「美」と感じるか。ある「モノ」に対して、認識することができない存在に対して美と感じるのだろうと思う。

そのモノを人が認識できない大きな二つの数学的な要因。それが「0」と「∞」なのだ。ないものと、おおきすぎるもの。両者は同一である(0≒1/∞)。それは人は頭の中では想像はできるものの、それを肉体的直感的にとらえることができなくなる。

その精神としての理解と肉体としての理解が乖離する感覚が美なのだろう、と思う。

たとえば。あまりにも大きいもの、青空、山、高層ビル、モアイ像、巨大建築物。

古いもの。認識がはじまりを捕らえることができないぐらい長いもの。古代建築物。寺。古書。巨木。

ないもの。なにもない空間。清貧。透明なガラス。お椀。壷。

あまりにも速いもの。つまり捕らえる時間が0のもの。車、アスリート。または資本主義社会のスピード。次から次へとこだわらずに買い、捨てる。コンビニ。使い捨て商品。大量生産。

そういった大量消費の「0」の快楽のなかに「パノラマ的快楽」というものがある。「パノラマ的快楽」とは「パノラマ的知覚」によって得られる快楽のことで、「パノラマ的知覚」とは「「対象をその刹那的正確ゆえに、逆に魅力あるものとみなす知覚」(引用 ファッションの20世紀)のことである。

商品が大量生産されるようになり、百貨店ができあがる。そこにはありとあらゆる「もの」が並び、いちいち一つ一つを確かめたりすることはない。だが、その視覚に次々にうつりゆくものたちを眺める快楽。たとえば電車にのって、次々にかわりゆく景色を眺める快楽。集めた芸術品などのコレクションを眺める快楽。世界のありとあらゆるものを認識しようとする知的欲望。そういうものが「パノラマ的快楽」。

GREEで感じる快楽はそういった種類の快楽に似ている。これは、100年ほど前、大量生産が可能になったころの人々が感じた快楽と同じなのではないだろうか。

いままでのアナログで客観的認識が難しかった、人付きあいというアナログなものをパノラマ的視点でデジタル化することによる、快楽。

もちろんそれに対する反発はあるだろう。大量生産のころだって、もういちど手工業のよさを!といって戻ろうとしたイギリスのグループだっていたこともあるし、いまでもコンビニなどの商品にたいする精神的反発は古いひとのなかにはあろう。だけれども時代はそういった「0」の欲望にはさからえない。

ぼくたちはいまそういう、今までなんどもくりかえされてきた現象のなかにいるんだとおもう。

これから先SNSがどうなっていくかはわからないけれども、多くの人が飽きない工夫をつづけていけば、とんでもないサービスになるのではないか、とおもったりする。