Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

■ 今日の独り言(2月11日号) 「CGコンテスト、別れの言葉」

■ 【CG】
 
第9回学生CGコンテスト
 
 結果発表。んがー。どーなんだ。いまいち言葉にならんのだが。ジェラシーと驚嘆が半々つーか。
 
 優秀賞の作品はうちの学校ですね。っつーかうちの研究室の人なのではないでしょうか。なんで知らない>俺。いや・・・まだ研究室に所属したばかりでよくしらないのです。・・・フラクタルかぁ。俺フラクタル好きじゃないんだよね・・・。んー。去年の作品もうちの学校の作品フラクタルだったんだよね。なんか理工学部=フラクタル作品!みたいなんがすごい安直でいやだ。
 
 いやこの作品はすごいとおもうんだけど・・・。アルゴリズムの美学はすごいけれど、それはアルゴリズムそのものの美しさを保障するだけで、アルゴリズムによって生成されたものが美しいとは限らんていうか。なにか新しい表現方法が発表されたからといってその表現方法を作った人はえらいけどそれを用いてつくった作品がすばらしいわけじゃないじゃないですか。
 
 でもフラクタルに関してはそういう、フラクタルであるというだけでかっちょいいみたいなニオイがする。・・・いや初心者の戯言なんですけどね。
 
 数学的美術がもともとすきじゃないんだよなぁ。よくあるじゃないですか。この、曲線は、簡単な数式であらわされるから美しいうんぬん。黄金比とか。あーいうのはすごいうさんくさい。
 
 それはそういうアルゴリズムを理解しているひとたちのなかで、美しいのであって、人類全体がそれを美しいと思うかは別のはなしでしょう。黄金比だって、西洋人だけがもともと美しいっておもってはじめたものだとおもうし。
 
 やっぱ人間的試行錯誤こそが美しさの元だとおもうんだけど。
 
 だからそういう意味でこのフラクタルの作品は苦労してつくってるからすごいとおもいますよ。フラクタルだけにたよってないとおもうし。
 
 でもこの講評みると、なんか数学的手法に賞がおくられたみたいでいやなんだよね。そういう、数学的手法を競うコンテストだったらいいとおもうけど他の作品は違うわけでしょう?ってもしかしてそうだったらごめんなさいなんだけど。
 
 ・・・えー予想外にながながとかいてしまったが、俺はこの優秀賞の作品はすきですよ!(自分の研究室だった場合フォロー)
 
 あと来年俺が賞をとります。<あーあ。
 
追記: うちの研究室でした(笑) しかも2年連続受賞。すごいですねー。尊敬だ。

■ 【どうでもいいこと】
 
大人の友達同士が会う。最近どうよ、とか。自分の近況について語ったり。落ち着いた会話。
 
でも別れるときの挨拶。これ結構こまりません?みなさんなんていいます?「じゃあねー」とか?
 
「じゃあねー」ってすごい子供っぽい台詞じゃないですか?なんかそれまでどんだけかっこいい台詞をいってても「じゃあねー」って言った瞬間、なんだか落ち着かない気分になる。
 
「じゃあな」とかでもいいけど、なんか妙にかっこつけてるみたいだし。
 
「さよなら」ってのもねーかくばってるかんじがして。先生と生徒かよ!みたいな。 

仕事の関係だったら「それでは」とか「また近いうちに」とかなるんだろうけど。
 
俺の中では「じゃあねー」ってのが一番使う。でもこれいったしゅんかん、それまでどんだけかっこいいことをクールに語っていても、子供レベルまでおちるきがする。なにかが。
 
結局別れ際のきまずさが、別れの言葉の混乱を生むのだろうとおもったりね。お互いの心理的距離感が変化するとき、どういう立場をとっていいかわかんなくなったり。どぎまぎどぎまぎどぎーあんどまぎー。
 
個人的には関西弁の「ほな、また」ってのが一番あっさりしててしっくりきてかっこいいんだけど、いかがかしら?
 
ほな、また。