Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

■ 今日の独り言(2月8日号) 「りんご中華街元町駅」

■ 【落書き】
 
りんご姫。
 
・・・えーこのサイトがだんだん落書きサイトと化してきましたが、なりゆきにまかせます。
 
 
■ 【身の回りのこと】
 
うわさの中華街へいってきました。叔母さんが誕生日前祝だというので。いやー、横浜駅めちゃきれいになってますな。びびった。いとこ曰く、君なら3分で迷うと。3分て!ラーメンデキチャウヨ!(にせ外人風)などと意味のわからないことをのたまいつつ中華街へ。・・・人おおっ!(人が多いという意味)。すげー前きたときゃこんなにいなかった。電車効果すげー。とりあえず中華はうまかったよ。帰りお金ないお金ないと呪文のようにくりかえしてたら、おばさんからかえりちんもらった。すげー!おかねがなにもしないでふえた!みんなもこまったときは「オカネナイオカネナイ」という呪文をとなえてみるといいよ!もしかしたら周りのいい人からお情けをもらえるかも!でも失敗したら周りからうざがられ友達やめられるから、素人にはおすすめできない!これ諸刃の剣!そんな一日。
 



■ 【今日の元町駅】
 
白い。とにかく白い。
 
 
 
 
 

■ 【どうでもいいこと】
 
 僕たちは僕という茫洋とした存在の中心に置くべき何かがあったとして、その何かを持たずに成長してきてしまった最初の世代だったと思う。決して好んで持たなかったのではない。時代の要請として、そこに宗教を置く事も許されず、政治的イデオロギーを置く事も許されなかった僕たちは、「それ」をもつことができなかった。結果、社会に出るとなったとき、あまりにも頼りないその空洞に何かを埋めなければ生きていけないと察した僕たちは、その空間にとりあえずの中心としての「私」というものを置く事に決めた。そういう風なものがあるということを学校で習っていたし、社会から意図的に封じ込められてきたわずかな知識の中では、それぐらいしか信頼できそうなものがなかった。
 
 だがしょせんは付け焼き刃にすぎない。「一つ上の世代からは「最近の若者は自信がないものがおおい」などと揶揄されるに至るが、そんなことはあたりまえで、僕たちの世代にとっては、とりあえずの「処置」のたまものである「私」など、何か起きるたびに揺らぎ、心に平穏をもたらす事はありえない。
 
 なぜなら僕たちは「私」を信じた世代が起こしてきた過ちを見て育ってきたのだ。僕たちは知っていた。「私」などというものでさえ、幻想であることを。そして一部の人間においては「なにもない」ということを中心に置いた。
 
 
■ 【サブカルとオタクメモ】
 
広義としてのオタク=サブカル+狭義としてのオタク
サブカル=ブログ的=無国籍=ハイパーリンク原理主義=リンク上等
オタク=個人hp的=共同体嗜好=アクセスはトップから=儀礼的無関心