Leanな生活について考えるブログ

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【音楽】 春の晴れた公園で吹く心地よい風とラジオの音楽の類似性

■ 疲れて家に帰って何か音楽でもかけようかってなったとき自分の持っているCDをCDプレイヤーで聞くのがすごくいやな感じがしてラジオをきいたりすることがある。
 
■ 確かに自分のもっているCDにあきているってのもあるが、ラジオでおそらく同じCDをかけられて全曲聴かされたとしても自分でかけるよりいやな気分にならないだろうと思う。
 
■ 街中でいやというほど聞き込んだ楽曲を耳にしたときテレビのBGMで自分の知っている音楽が使われていたとき同じ曲なのかとおもうぐらい意外な感動があったりする。
 
■ なんとなく思うのは。何か窓を開けて新鮮な空気をとりこんだ瞬間の心地よさに似ているかなと。
 
■ 美しいとは何かなと考えてみる。そのひとつに「功利原理から離れた合理性」があると思う。自分の意思、勝ちたい、得したい、快楽を得たいとかそういう気持ちとは関係なくその場に存在するもの。
 
■ 春の日の公園での青空とかそこに浮かぶ白い雲とか。初夏の誰もいない海の青さとか。そういう「ウツクシサ」とつながりうるとおもうんです。ラジオのDJが流す音楽というのは。
 
■ 厳密にいえば。ラジオとはスポンサーがいて、金が動き、誰かが得しようと思ってやっているわけで誰かの意思が入っているんだろうとおもうと少し萎えますが。
 
■ でもやっぱやっている人たちはそんなこと関係なく純粋にみんなを楽しませようとおもってやっているとおもうんですよ。
 
■ そういう中で流れる楽曲。これは公園でたまに吹く心地よい風とかそういうのに感覚が似ている。同じレベルで美しいんだろう。とおもうわけです。
 
■ CDとは自分がきこうという意思があってはじめて聞く音楽。自分が聞くという「自我」の決定を待たなければ、再生されない。でもDJが流す音楽は自分がいてもいなくても流れている音楽。
 
■ そのへんのちがいかなぁ。まぁそんなわけでどんなにいい曲でも僕はあんまり何回もCDを聴かないのです。
 
■ そしてまた新鮮な空気をすいこむようにCDを買ってしまう。新しいCDというのは自分にとっては新しい酸素のようなものだから。
 
■ そうやって僕は音楽を呼吸している。