Leanな生活について考えるブログ

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【アート】 映画は人を傷つけるべきだ?

■ 邦画について
 
僕は邦画が大好きだ。
などというとまたでやがったこの
サブカル気取りのおしゃれ気取り野郎がっサノバビッチ!!!とかいわれそうで困る。
いや実際そんなサブカル気取りの連中にも正直知識で劣るだろうし、そんなに映画だって見てやしない。
いい訳をするなら、自分の中で映画をみることが未だ恐い、というところがある。
 
わからないものがこわいのだ。
なぜ自分は心をゆさぶられるのか、なぜここで泣くのか。
気持ちがわるかった。
 
だから僕はずっと考えてきた。
ただひたすら生き易くなるために自分のために考えてきた。
思考停止をする人々を糾弾したりしてみせるが
単純に僕は考えざるおえなかった。
そして彼らは考えずに生きてこれた
ただそれだけの違いなんだろう。
 
ようするにひがみだ。
 
■ ヨミガエリをみましたよ。
 
今日、ヨミガエリをみた。
面白かった。
 
面白かったよ。
ただそれは「リリイシュシュのすべて」の面白さや
トレインスポッティング」の面白さや
アカルイミライ」の面白さとは違う。
 
というか後者は一般的には
面白くないとされている作品も多い。
作品として前衛的すぎて
多くの人の理解を得ようとする努力を怠っているのではないかという映画も多い気がする。
 
ただ僕はたぶん
後者の映画の方が好きだ。
 
 
ある友人のことばをかりれば
まぁ単純な話前者の面白さは「funny」で
後者の面白さは「interesting」ってことなんだろう。
 
まぁわざわざあらためていうことじゃないんだけど。
 
■ 傷つく映画と傷つかない映画
 
ようするに前者の映画は人々を感動させたり、楽しい気分にさせるものだ。そしてそれだけのものだ。なにも残さない。理解可能なことをもう一度編集しておもしろおかしく見せている。
後者の映画は人々を「傷つける」映画だ。
それは痛い方向かもしれないし、記憶にひっかききずをのこしてわすれさせない傷痕をつけるものかもしれない。下手をするとその人を失意のどんぞこに陥れてしまうものかもしれない。そしてある人々を怒り狂わせてしまうかもしれない。
 
顔に別になんの傷もついてないきれいな顔の人に「あなたの顔の傷は本当にひどいですね」といっても、「はぁ?」と聞き返され、哀れみの目をむけられるだけでなにもおこらない。
だけど昔どこかしらに小さな傷をもっていたとして(そしてそれを本人が無意識に忘れてしまっていたとしても)そんなことをいわれれば
 
やはり怒り狂う人もいるだろう。
 
怒りとはそういうものだ。どこかしらに自分の問題点を自覚しているがゆえに、それを指摘されると怒るのだ。怒り狂うことでその自分への非難を他人にぶつける。「そんなことをなぜわたしにいうのだ!失礼だ!」と。
 
たしかに、人間関係はうまくいくべきだし、それのほうが幸せなままなのかもしれない。だけど問題点がなおせるものならば、本人は怒るだけでなくその指摘された問題点を省みる事によって
新たなステージへと行けるのではないか。
 
映画、いや映画というものだけでなくメディアをとおしてかたられるすべてのものにおいて、僕はそういう一部の人を「怒り狂わせる」映画がたぶん好きなんだろう。
 
■ 傷つけあうことで確認できるもの
 
ぼくはもっとみんな怒ると良いと思う。
そしてお互いを罵りあえばいい。
その中から絶対なにか「良い事」が生まれてくるんだと思う。思いたい。
 
んで、ぼくが作るもので誰かが怒ってくれると良いなと思う。ぼくはそういう物を作りたい。
 
ぼくはよみがえりをみて面白かったと思った。
そしてとても好きな作品だ。
ただやっぱり
なにかが足りなかったと思った。
 
その足りないなにかを今日は考えてみた。
そういうお話でした。