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 社会:『寅さんは人間ではない?』 ヒューマニズム(1)

ヒューマニズムとは何か、「不自由」論 を元に。(1)】
 
 
■ 寅さんは「ヒューマニズム」じゃない?
 
日本では「ヒューマニズム」というと、偽善を嫌い、理性とかそういう小ざかしいものを外し、弱い人に同情し、悲しい時は泣く、といった、寅さんの性格のようなものを指す場合が多い。
 
だがこれは本来の「humanism」とはまったく違う意味である。日本で言うところの「ヒューマニズム」はルソーが近代においてはやらせた「自然人」主義のことなのだ。
 
「自然人」と「ヒューマニスト」とはまったく異なった概念だ。「自然人」についてはまた後ほど。
■ 「ヒューマニズム」とは古代ギリシアで「作られた」
 
古代ギリシアにはポリスと言う共同体があった。そこでは奴隷が働き、奴隷を使役する「人間」は働かずにすんだ。それゆえ、無駄に「金」のトラブルもおこらず、食べ物に困るという心配もない。そうなると暇をもてあました「人間」は、ポリスの未来をどうするか、とか、いかにこの世界がなりたっているか、とかを考えることができた。
 
つまり「私」的な問題をかかえこまずに「公」的な話を問題にするだけでよかった状況だった。そしてそんな中に生まれてきたのが「公」的な話、つまり「世界とはどうなっているか」「いかによく生きるか」「いかに多くの人間(奴隷をふくまない)が幸せになれるか」といったことを自分の「理性」で考えるようになった。
 
そしてそういった「公」的な話を討議することこそが「人間」である、つまり「ヒューマニズム」だとしたのだった。
■ じゃあ寅さんは何なのか? 
 
じゃあ決して頭はよくないし、どうしたら世界がよくなるかなんて考えていない寅さんはなんなのか。それは日本人本来の「感覚主義」とでもいうものなのです。古来日本人は、小難しく考える民族ではなかった。そしてまた、民族としてほぼひとつであり、村社会であったので、あえてほかの人が何を考えているか、なんて考える必要もなかった。この辺の話もまた別の機会にします。
 
そういった「感覚主義」はルソーのいう「自然人」とよく似ていた。ルソーの「自然人」の考え方とは簡単に言うと「理性の仮面」をかぶった人間を偽善者と指摘し、そういった仮面をぬぎさったところに人間の「本来の姿」=「自然な姿」がある、というものである。
 
それゆえ、近代化を焦った日本人は「ヒューマニズム」と「自然人」を西洋から伝わってきた、似たような概念というだけで、混同させていく。
 
西洋の文明にふれて、「理性」という概念に触れ、自分たちの中にそういうものがあまりない、ということに焦っていた日本人。そんなおり、そういった日本の「マゴコロ」をもとにした姿が一番いいんだ、ってルソーさんがいってくれたようなものなわけで、ほれ、日本人が一番だ!と日本人にありがちな西洋からの逆輸入による日本人特殊論に陥ってしまった。そういったルソーの功罪について詳しくは次回。*参考文献(下をクリックすると商品が買えます)
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