Leanな生活について考えるブログ

「LeanStartUp」や「デザイン思考」や「UX」な考え方についていろいろ考えたり、日々の生活で実践したり。

コンテンツイズキング

会社でSEO用のコンテンツとかまぁ考えたりしていると、コンテンツを作ることを全力でやってしまっている自分たちがいるわけですが、久しぶりにブログっつーか日記とか書いてみると、こんなものの数秒で、「コンテンツ」とやらができてしまうってことに、不思議な感銘をうけるわけです。いやまぁ、自分が書いたものなんてただのらくがきなわけですが、会社で一生懸命考えたコンテンツが、個人ブログに負けたりすることは多々あるわけです。いや、そもそもそんな会社で考えたコンテンツが、個人ブログに勝っていいわけがないですね。だって、ユーザーとして考えりゃgoogleで調べたいのは、個人のコンテンツだものね…。SEOなんて意識している暇があったら、少しでも役にたつ、っつーかまぁそのひとの個性とかWEBならでわの飛び抜けた発想とかそういうものをだすのに時間をかけている個人コンテンツがひっかかってほしい気がするし。(個人ブログでもなんとかができる5つの方法とかそういう名前にこだわるぐらいならもっと他のことに時間をかけているブログを知りたいわ。googleで調べるときは)

まぁそんなユーザーよりの視点を忘れないためにもたまには、ブログ書いたり、ブログ読んだりそーいうことをしたほうがいいとおもうのですよ WEBディレクターとやらは。ふんが。

密教とHCD 禅とApple(もしくはデザイナードリブンイノベーション) 天台密教とリーンスタートアップ

妄想続き。南都六宗みたいな学問的大乗仏教を、人間工学とか心理学とかIAなどに例えるとすると、救われる人のタイプにあわせて怒る仏像や優しい仏像などをつくったり、鎮護国家というわかりやすい形で為政者や公卿に見える化した真言密教こそがHCDみたいな感じ。武士(ビジネスマン)にも一部好まれた。結局修行が必要で、そこそこ時間がかかるのもHCDと真言密教似てる。Appleのようにユーザー調査ではなく、経営者が必死に考えた人を救うやり方にしたがってサービスを作るのは、禅宗の、衆生に禅をやらせるやり方に似ている。その人々にあった形を模索せず(ユーザー調査をせず)とりあえず、禅をして救われる。ただ、禅は容易ではなく、徹底的な思考力が要求される。リーンスタートアップとかは、そこまでがちにユーザー調査をやるのではなく、必要とあればユーザー調査もせず、自分たちがユーザーってこういうものなんじゃないかというプラグマティックペルソナを作ってサービスをとりあえず作ってみる、なんていう所が、密教も禅も取り入れた天台密教な感じがする。念仏という易行を生み出し、誰もが利用できるようになったところとか、そんなかんじ。

【SXSW2012 Meetup イベントレポート】海外のスタートアップイベントは、「参加」することに意義がある?ない? 

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先日は、「SXSW2012 Look Back Meetup~SXSW2012を振り返り、SXSW2013に向けて多くを語り、多くを学ぶ!」っていうイベントにいいってまいりました。会場はmixiさんです。shibuyaUXで最近よく行ってますが、今回は一部屋に200人以上の参加者ということで、いつもと違う雰囲気になっておりました。

今回の趣旨は『サウスバイサウスウエスト(SXSW)2012インタラクティブが3月9日~13日に米テキサス州オースティンで開催され、日本からも多数のスタートアップやメディアが参加しました。参加者達による熱いディスカッションと各種スタディの ためのミートアップを開催し、来たるSXSW2013への戦略的ノウハウ共有をしっかりと進めます。』ということ。

実際、たっぷり現場に行った人々の熱意、思い、衝撃を伺うことができました〜。

SXSW2012自体のレポートは、以下の記事などをご参考に。

なぜ人はSXSWを目指すのか?世界中のスタートアップがオースティンに向かう理由【井口尊仁】 : TechWave
SXSW2012、日本のスタートアップによる音楽系サービス5選【本田】 : TechWave

今回のミートアップで、自分なりに学んだ点、気付かされた点をいくつか書き残しておこうと思います。

1.イベントは、大きな「スタートアップエコシステム」の流れの1部分であること

SXSWに限らず、こういったイベントってのは、出すことが目的になりがちではありますが、このイベントはほとんどのスタートアップにとって、はじまりから「決勝戦」の様相だということ。ここのイベントにでてきて、成果をだすスタートアップは、少なくとも昨年の12月からTechCrunchなどの有名メディアに取り上げられ、盛り上がってきている状態。
これはある種のアメリカのメディアを中心としたマッチポンプ的活動となっており、メディアとスタートアップとVCの間のエコシステムができあがってしまっている。これはイベントの期間だけでなく、様々な多くの有名イベントをまきこんで1年中ぐるぐるまわりつづけている状態なのだそうです。これは少なくとも理解して、そこに参加している状態でイベントにもでないと意味が無いということ。

2.エコシステムの理解のためには、アメリカの文化を理解し、尊重することが大事そう

さらに、そうしたエコシステムといったものの背後には、おそらく欧米の文化・歴史・経済の大きな流れっていうのもあって、これも理解が必要そう。即物的にいえば英語の勉強が必須。日本の文化を理解しろ、なんてことはほとんど意味がなく、あちらの言葉・文化によりそうように活動することが重要そうだなと感じました。(WIREDの中の人曰く、サムライ的イメージをもちだして宣伝しても、日本の文化を理解しているアメリカ人なんてごくわずかだということです)

英語が苦手なら、通訳をやとうなどすべきだということもいっていました。なんだろう、かっこつけて中途半端な交流しかできないぐらいだったら、かっこつけずにちゃんと交流できることを目的にすべきだってことなんでしょうかね。

3.徹底的な準備のあとにまっているのは、ビジネス的ではない、お祭り的即興的な現場でのプロモーション活動

エコシステムに参加し、英語文化の受け入れも完璧になったのち、はじめて現場での活動が意味がでてくるよう。その事前作業は徹底的で万全な準備が重要だなーと感じましたが、現場では真逆の徹底した即興的なプロモーションが功を奏するようです。

SXSWは、音楽のイベントとしてはじまっているだけあって、音楽FESのようなお祭り騒ぎ的空気が特徴のようで、日本人的おりこうさんなビジネス的態度ではうまくいかないようです。ブース展示をやらずに、街中で、バスの上からプロモーション用のTシャツを投げ回ったり、美しいデザインのフライヤーをくばりまくったり、雨が降ればロゴ入りの傘をくばっていたり。ゲリラ的活動、いかに目立つ活動をするかが重要なよう。

その場の空気を読んで、いろいろ作戦を練り直すことが重要だと、GIZMODEのなかのひとはいっていました。もっていったフライヤーの大きさをその場の声を聞いて即興的に作り直したそうです。


徹底的な準備と、その準備をいかした即興的な実践。これらを両立させるのは並大抵のことではなさそう。人でもかかるし、お金もかかる。

なので、そんな準備は面倒だと、とりあえずやってみよう!的心意気では、成功は難しい。でもやってみなければ、その空気感はわからない。こうした葛藤は、参加者のみなさんからしばしば、話としてでてきたように思えます。

ただ、これらのもっとも簡単な解決方法は、「シンプルにいいサービスをつくること」。ここは頓智のイグチさんも最後にいっていました。これさえできれば、エコシステムに無理にのろうとせずとも、自然に話題になるし、現場でも飛び道具をつかわずとも話題になれる。ただ、簡単にそれができるなら、楽なことはありませんです。

ただ逆に言うと、シンプルにアメリカで受けるサービス。それはなんなのだろうか。結局それを理解するために、SXSWなど、海外の潮流に挑戦していく価値があるんだろうなぁとおもいました。

一部の飛び抜けて外人に受け入れられるサービスをのぞいて、SXSWは手段ではなく、海外の文化、うけいれられるための方法の勉強の場でありそう。「成果はでなかったけど、自分の刺激になった」っていう声もありました。

だから、会場からの質問で「現場ではどうしたら成功するか?」の質問に、「とりあえず、SXSWに参加しろ」といっていていたのだろうなぁ。一見、すれ違った回答におもえます。質問者は、おそらく、成功のための手段の場だと考えていて、具体的な手法をききたかったのでしょうけど、答える人は、そこを理解するには、実際に行ってみていろんなお作法を肌感覚で学んだほうがいい、といっていたんだろうなぁ。


WEBは世界中から見れるので、文化の壁はないように勘違いてしまっていたのですが、今回のイベントを通して、まだまだ日本人にとって、欧米の文化・経済ってのは異世界・新世界であって、わかったきにならず、それこそ江戸時代のなにもわかってない、ださいサムライとして挑戦して衝撃をうけまくるべきなんだろうなぁと思うことができました。そういう意味で今回の参加者たちはほんとうにすごいし、えらいし、うらやましいし、自分もなんとかせんとなぁと思います。

ビジネスモデルづくり苦手な人が「ビジネスモデルジェネレーション」を読んで実践してみてわかった3つの良いところ。

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Amazon.co.jp: ビジネスモデル・ジェネレーション ビジネスモデル設計書: アレックス・オスターワルダー, イヴ・ピニュール, 小山 龍介: 本

最近、ビジネスモデルジェネレーションっていう本を読んでいた。というよりは今もなんども繰り返し読んでいます。なんかエッジのたった流行に敏感ななうなビジネスマンに大流行の兆していうことで、ちょっくらかじって読んでいるところです。

とにかく、私は「ビジネスモデル」ってのを考える事が苦手で苦手でしょうがなかったわけです。現状もしょうがない進行中です。思いつきのアイディアを誰かに説明しても、「で、それもうけられんの?」っていわれておわりなわけです。つらいわけです。

そんなわけでいろんな本をかじってみたりしたのですけど、なかなかしっくりくるものがなかった。そんな中、この本はわりとぴんときています。

この本では、ビジネスモデルキャンバスという、フレームワークを使ってビジネスモデルを分析、ビジュアル化する手法を紹介しています。

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他のサイトの紹介とかは以下の感じなのでみてみてください。

『グローバル一流企業やコンサルタントに使われていて、世界各国で翻訳されているという本です。『ビジネスモデルキャンバス』という一枚のシートに、付箋をペタペタ貼り付けるだけで、ビジネスモデルを図示することができる、という画期的なツール』
友達には秘密にしておきたいフレームワーク?⇒『ビジネスモデル・ジェネレーション ビジネスモデル設計書』 - TravelBookCafe ビジネス書 書評ブログ

『ビジネスモデル・キャンバスとは、「画家が絵を描くときに使うキャンバスのようなイメージで、ビジネスモデルを絵のように表現し、可視化するものだ」とClark氏は説明する。同氏によると、ビジネスモデル・キャンバスには9つのビルディングブロックがあり、ひとつひとつブロックに必要事項を記入することでビジネスモデルが明確になるという』
『ビジネス・モデル・ジェネレーション』--デブサミで紹介された活用手法(1/3):企業のIT・経営・ビジネスをつなぐ情報サイト EnterpriseZine (EZ)

とりあえず、自分で読んで、実際に仕事で使ってみたりした感想です。


1 チームでビジネスモデル検討をするのに最適。

BMCは、ビジネスモデルについて、チームメンバーとあーだこーだいうときのツールである。これがあたりまえだけど一番の大前提。いままではビジネスモデルって、パワポでそのひと独自の図解でかいたり、エクセル表でかいたり、棒グラフでかいたり、計算式でかいたりいろんな手法があったのですが、これらだと、まぁ議論がしづらい。BMCだと、とりあえず実感としては、いまあげたものの中では一番やりやすかった。ビジュアル化っていうと「ピクト図解」ってのも有名だったりしますが、それよりよかった。その理由としては、箱が予め用意されているので、初参加の人でも、タスクのイメージがつかみやすいんだろうなぁとか思います。そんなかんじで、なにはともあれ、自分たちが考えているビジネスモデルについてチームで議論を深めることが出来れば万々歳。ひとりで考えるより、文殊の知恵とかそういうやつです。

2 つっこみどころが少ないビジネスモデルを考えるのに最適。

2つめのよかったところとしては、ビジネスモデルについて、ぬけもれながなく思考ができやすいなぁとおもったりしたところです。まぁ、これはBMCに限らず、フレームワークとよばれるものの利点だと思います。ビジネスモデルを描くとき、ついつい自分が強いところ、自分の会社が強いところを重点的にかいてしまって、みたくない苦手なところは適当な記述、想像ですませてしまうことは多々あります。市場調査ばかりやってしまう人は、どれだけ見込み顧客がいるか、なんて計算に終始して、肝心のコストの部分はあまり考えなかったり逆にコスト感覚が強い人だったら、そういった細かい計算ばかりして、どれぐらいお客さんにそのサービスが求められているかの検討をしていなかったり。BMCでやっていると、ある一つの部分ばっかり考えていると、そこだけやたら記述が多く、考えてないところが空白であるのが視覚的にわかってしまいます。で、全部の枠にとりあえず書きこむと、なんというか、新規サービスのビジネスモデルにありがちな、これ机上の空論じゃない?っていう不安感が幾分か軽減されるなぁと思いました。

3 他のモデルとの比較で、自分のモデルの強み弱みが明確になる。 

3つめのよかったところとしては、自分たちのビジネスに近いビジネスモデルを分析することで、自分たちのビジネスモデルの強み弱みが明確にみえてくること。まず、この他のモデルとの比較のしやすさってのが際立っています。文章や普通の図解で比較するとなると、例えばコストに関する部分を探し出すだけで、いったりきたり結構一苦労だったりしませんか。BMCだと、同じような要素は、全部同じ配置でかかれているので、視覚的に比較が簡単なんですね。そしてその比較が簡単が故に、その優れたモデルとの違いが見えてきやすい。どの部分がその会社特有の強みなんだろうか、なぜうちはその強みをとりいれることができないんだろうか、その会社より自社のモデルの強みはどこなんだろうか、強みがないのであれば、この部分では実は強みをつくることができるんじゃないだろうか、などなど。自社の強みをいかしたモデルになっていることは、大きな会社になればなるほど求められる所かと思いますので、ここはかなり使えるポイントだなぁと思います。


とまぁとりあえず3つほど、やってみて気づいたことをかいてみました。まだまだ色々発見できるとおもうんですが、とにかくですねこの本、ここだけの話読みにくい…。というよりは、自分でBMCの使い方を能動的に考えながら読み進めないと、手取り足取り使い方を教えてくれるような構成にはなっていないのです。

逆に言うと、たくさんの人が自分なりの工夫を導きやすい本の構成になっています。わかりやすいというのが、いい、というわけではないってことかもしれません。

みなさんも、もし、ビジネスモデルづくりってなんか苦手だなぁとおもうひとがいたら、だまされたとおもって、読んでみてください。何よりも重要なのは実際に自分の仕事で30分でも1時間でもいいから時間をとって試してみるってことだと思います。




【おまけ】
基本は大きな方眼紙にポスト・イットで貼っていくのがいいと思いますが、保存性とか遠隔でやれることを考えるとオンラインでPC上でやるメリットも捨て切れません。そんなとき、googleDocumentでBMCのテンプレートつくっている方を発見しましたので、リンクはっときます。ご興味のある方はつかってみてください。

Business Model Canvas By Ian Broom

「どうせ自分なんて才能ないからやめよう」と思わず「とりあずやってみよう!」と思えるようになった3人の言葉

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なにか新しいことをはじめようとしたとき、最後までやらずに、すぐにやめてしまったりすることってありませんか?

新しい趣味をはじめようとおもったけど、才能がないとおもってやめたり。これはみんなのためになる!と思って、リーダー的な行動をとろうとしたけど、なんかでしゃばり過ぎかなと思ってやめちゃったり。これは世の中の役に立つ!と思って、WEBサービスの企画を考えてみたけど、たいしたアイディアがうかばなくてやめてしまったり。ブログをかこうとおもって1日でやめて放置したり。 笑

私はしょっちゅうでした。っつか上の例はブログをはじめほとんど全部自分です 笑

周囲から批判されることを恐れていたんでしょうか?いやそれより、自分自身で、自分のやる行動は本当に正しいんだろうか、空回りじゃないだろうか、本当に意味のある行動なんだろうか、など行動する前にあーだこーだと自問自答してやめてしまうことが多かった気がします。

そんな堂々めぐりが続く中、これじゃいかんなぁとおもっていたある時、WEB上やリアルで聞いたいろんな人達の言葉がある時頭の中で、ふとつながって、「あ、どんどんとりあえずやってみればいいんだ」と思えるようになってきました。

そこに至った、特に記憶に残る映像関連のクリエーターが語った3つの言葉をご紹介します。

1
(人は)創造力についてはなにも勉強していない。
だから、自分の批判力は自分の創造力を遥かに上回ってしまう。
だから、自分を批判していてはシナリオなんか書けない。
シナリオは、楽に、下手に書け。

http://hoenaga.sblo.jp/article/22927493.html

七人の侍」で黒澤明監督とタッグを組んだ、脚本家・橋本忍さんのおはなし。映画作りを志す若人に向かっての言葉だそうです。
人は、客観的に評価するという勉強は子供の頃からたくさんする。私もたくさんしました。たしかにそのとおり。そして同時に、想像力を磨くということは、批判力を磨くよりは圧倒的に怠ってきた。これもそのとおり。だから、結果として批判力が想像力を上回って、自分のことをだめだだめだと批判するようになっている。これでは、何も行動ができない。だから、とりあえずやってみろ、という話。

2
評価は他人が下すもの。「向いていない」なんて自分で決めることはできない
http://journal.rikunabi.com/work/job/job_vol58.html

誰があなたに、いいものとわるいものの判断をくだすのか。アタリマエのことですが、他人です。自分で勝手に批判して自暴自棄になるまえに、行動してみて、他人が評価を下すのを待つことが重要です。
映画監督、行定勲さんはいいます。
「自分にはADが向いていないと落ち込み、上司に「辞めたい」と打ち明けたこともあります。そのときに上司が言ってくれた、「お前は自分で自分の価値を決めている。そんなのは通用しない」という言葉が僕の原点です。評価は他人が下すものであって、「向いていない」なんて自分で決めることはできない。」
アタリマエのことですが、他人に判断してもらうために重要なことはなんでしょうか
「まずはやってみないと、他者も評価しようがない。だから、僕はもんもんとああでもない、こうでもないとひとりで考えることはないです。プライベートでも仕事でも、やりたいことは行動に移す。それでうまくいかないなら、仕方がない。」
まずはやってみる、といっても、自分以外の誰かに、自分が考えていることが正しいか判断してもらうために、まずはやってみるということが重要なんだなと思います。自分ひとりで考えても、経験が浅い人の場合、たいしていいものにはならない気がします。「下手の考えやすむに似たり」です。ひとりで、「これはいい!」にしても「これはだめだ!」にしてもひとりずもうになっちゃってたり。それはそれで自己満足的には楽しかったりしますが、それは本当に自己満足で終わってませんか?


最初の数年、あなたは作品を作り続ける。でもそれはあなたの目からみて、それほど良いとはいえない。多くの人はここを乗り越えられない。彼らはやめてしまう。最も大事なことはたくさんの仕事をこなすことだ。締め切りを作って、一週間に一つの物語を終わらせるように仕向けてみよう。
http://lifehacking.jp/2011/11/the-gap-of-creativity/

The American Lifeというアメリカのテレビ番組プロデューサーの言葉です。上の二人とほぼ同内容のことを語っています。そしてここで特に強調しているなとかんじているのは、とにかくたくさんの仕事をこなしつづける、ということだなと思います。このあと、こう続きます。「このギャップは、たくさんの作品をつくることでしか越えられない。そうすれば、あなたの作品はあなたの野心と同じくらい良いものになる。そして私は、自分が会った誰よりもこれに気づくのに時間がかかった。時間はかかる。しばらく、時間がかかるのは普通のこと。だから、この時期を戦い抜けてほしい。」
優れた評価を受けている人がこう言っているのは非常に勇気づけられます。

会社人は、自分も含め極端に失敗を恐れることが多いと思います。もちろん最初から成功するようにできればそれにこしたことはないですが、ゴールに到達するには優れたクリエーターでも、間違っても失敗しても「やりつづける」以外に方法はないんだろうなと感じます。

 
3人ともたまたま映画やテレビなど映像の人であるというところは、みんなでおおきなものをつくっていく仕事でありながら、創造力がもっとも重要な鍵をにぎる仕事であるというところから関係しているのかな。でも、これからはどんな仕事でも集団で創造力を発揮しないといけない時代だし、改めてそういったクリエーターに学ぶところは多いなと思います。

今自分が学んでいる、デザイン思考やLeanStartUpな考え方なども、まずはお客さんに、プロダクトをだしてみて、その反応をみてから改善をするべきだ、という考え方が非常に重要です。

今後とも、とにかく自分の内なるネガテイブな言葉になるべく耳を傾けず、とりあえず毎日少しずつ、やってみて、ひとに相談していくこと、これを積み重ねていきたいと思います。ブログもまだまだつづけます!

これを読んでいただいたみなさんも、ぜひ、とりあえずなにか考えていることとか、こういうものがあったらいいなと思っているものありませか。今日からでも手を動かしてみて、友達とか家族とか会社の人とかに見せるのをはじめてたりしてみてはいかがでしょうか。

「アウトプット」重視なら会社の近くに住むのがオススメな3つの理由

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いきなりなんですが、明後日引越しなんです。準備がまったくすすんでいなくて、現実逃避にブログなどを書いております。

で、引越し先なんですが、実は会社から近い場所なんです。どんだけ近いかっつうと、歩いて2分。激近ですね。

部屋から職場が余裕で見えたりして、ちょっとびびります(下手したら働いてるところが見えるかもしれない…)。あと、もちろん会社は、都内なわけで、圧倒的に家賃は高くなります(大丈夫かな…)。

まぁでも会社の近くに引っ越すのは、本当におすすめなんです。特に、色々「アウトプット」したいぜーという方には。

ってまだ引っ越してないのになんで断言してるかってーとですね、実は「今」住んでるとこもすでに十分近かったりするんですね。会社から15分程度の、町内の引越しだったりします。すでに色々いいことがおきているので、さらにもっと便利なところへ、というわけです。

なにしろ楽です。まぁでも楽になる以上に、良いところが「アウトプット」がしやすくなるってーことなんです。ここでいうアウトプットってのはそれこそ、ブログ書いたり、絵かいたり、音楽つくったり、プログラム書いたりとかそういうことです。

おすすめする理由を3つほどあげておきます。

 

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1.アウトプットに使える、まとまった時間がつくりやすい。

アウトプットをするためにはスキマ時間では難しい。読書とか、インプット的活動なら移動中でなんとかなるんですけど、アウトプットに集中するためには、少なくとも1時間以上のまとまって集中できる時間がほしいところです。移動時間が減る分、まとまった時間は取得しやすくなります。

 

2.アウトプットは金がかからないから、家賃にもっていかれても大丈夫

都内で、会社の近くとなると家賃が高い。そうすると比較的、遠くに住むより、自由に使えるお金が減ります。でも、インプットはお金がかかることが多いですが(勉強するには色々金がいります)、アウトプット作業はお金がかからないことが多い。ブログかくのもプログラムかくのも、ほとんど「タダ」です。むしろ、インプットの時間が減ってしまうぶん、暇つぶしにアウトプットに集中できるようになったりします 笑。結構このインプットって、アウトプットしない言い訳になったりしますからね。「俺はいま勉強中だから、アウトプットはしなくていいんだ」とか。とりあえずアウトプットやっちゃったほうがよかったりすると思います。

 

3.アウトプットは結構疲れるので、楽な通勤がおすすめ

インプットは、読んだり、見たり聴いたりと比較的受動的な行動が多いですが、アウトプット的な行動は書く、操作する、描く、などエネルギー消費がハンパないです。家にかえってあーつかれたーとねころがってそのまま寝ちゃう…なんて生活をしてたら、なにもできないわけです。楽な通勤は圧倒的にアウトプットに向かわせるエネルギーを産んでくれます。

 

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っつわーけで、私は近距離に住むようになって、まとまった自由時間を元気いっぱいすごせるようになりまして、プログラムを毎日少しずつ書いていけるようになりました。個人的なWEBサービスも作れるようになりました。

あと、最近アウトプットしまくっている会社の同僚が会社の近くに集まってきてるのも事実です。みんなにこのへんの話はきいたことないんですが、上記の理由も多少はあるんじゃないですかねー。今度聞いてみたい。

まぁ冒頭にもかきましたけど、郊外にくらべりゃ都心はとにかく高い。月5万は増えるのは覚悟しなければいけませんが、自分のアウトプット量を増やしていきたい!って思っている人は、近距離通勤、ほんとおすすめです。

…さて現実逃避は終にして引越し作業に戻るか…。

ブログの読者様がどんな人か思い描けないと、ブログはどんどん迷走していって破綻するのかもしれない

どうなのどうなの。最近どうなの。みなさん。私は元気です。
うそです、日曜日に救急車で運ばれました。ガッデム。おなかいたい。
まぁそんなこんなで身体はどんどん老化の一途をたどっているわけです。
もうまもなく30歳です。恐ろしいですね。
まぁそんなこんなで久しぶりにはてなダイアリーをひらいてみたわけです。

そしたら、いちいち現代思想っぽい用語をおりまぜて文章を書いているのを見て憤慨しました。
気持ち悪い!気持ち悪いよこの子!
学生から社会人になるってすげえなぁ。
やっぱ、人格を強制的に矯正されるところあるね。

さすがに、今、日記でアウフヘーベンとかかこうとおもわないものね。いや、3年前の日記で書いてるんですよ、俺。
「俺きょうあうふへーべんしちゃってさぁ」とか普通の人いわないもんね。
いや当時もリアルでいったことはないよ。いってたら通報されてるレベルだよ。

わかりやすいことばでしゃべろうと意識するようにはなりましたよね。できてるかはさておき。

前はネット上のことばなんて、旅の恥はかき捨てみたいなもので、
自分自身が満足すりゃ周りがどうおもおうとかまわんというノリで書いておりました。
はてなダイアリーとか、誰が見てるかわからない状況だと、そもそも読者を想定できないので、自分のひとりごとになる。
正直、この日記も、twitter,やfacebookで見られる想定を全くしていないので、ひとりごとチックです。

しかし、mixi,twitter,facebookとどんどんリアルな人が見る場面がふえてくると、
そのひとたちに届く言葉にせざるおえない。
なので、わりと、意味不明な専門用語は使わないようになっていったんだと思います。

まぁ、年をとって自分が変化して、文体が変わったというよりは、
リアルな知り合いがネットに増えてきたおかげで、書く内容も言葉もかわった、ってことですね。

昔からはてなダイアリーなどブログを書いていて、文体がわかりやすい人っていうのは、もしかしたら
匿名であろうとも、自分のブログの読者層が誰なのか感覚的にわかっていたひとなんだろうなぁ。
ターゲットが明確であれば、そのひとたちにあわせて文章をうまくかけるんだろうなぁ。

俺はいまだに、匿名の人に見られる記事の書き方はわからないままです。いまかきながら実感してます。

いきあたりばったりじゃだめなんだろう

おもいついたことをおもいついたままにやったりかいたりということばかりではだめなんだろう、って最近思う。

今までは行き当たりばったりの偶然性こそがこの世の全てであり、それを疎かにしては「天然」「天才」の領域になんてちかづけやしないぜこんちきしょうとか考えてたけどまぁやっぱりそれはなんつーか面白くないんだろうな。楽ではあるけど。

自分のコアとなり軸となるある種の「論理」は持つべきで、磨くべきだということは思っていた。ただそれは、たとえばブログとかで議論をふっかけて、むだに喧嘩するうちに磨かれていく、磨かれる可能性があるとか思ってた部分もありました。

んだけども、それってばやっぱり宗教なのだなと気づかされることも多々あるというか。むやみやたらに人と議論したって、けんかふっかけたって、反対意見のべてみたって都合よくあうふへーべんとかするかっていう話ですよね。議論好きのさよくてきな発想から、偽へーげる的手段から抜け出せないし、どっかしらでそういう言語的組み手っていうかぶろぐ炎上で大議論とかって重要なんじゃないかと思う自分もいるわけなんですが。

いや、その方法でね、偶然性をたよりにするやりかたで、成長できなくはないとおもうんですよ。ただ時間がかかりすぎるなと。だいぶ時間がなくなってきたいまになって思ったりします。そういう今だからこそ、偶然性に頼らず、冷静にじぶんの軸をさだめて、確かな、ゆっくりとした思考で磨くという方法論が有効に思えてきました。

むろん、人との対話をおろそかにしてはひとりよがりな軸になってしまうわけですが、まー両極端になってもね。だめだなと。

さしあたって自分の「かんがえ」っつうものを論理立てて、どういう立ち位置にいるのか、どういうあやふやな学問的考えのもとにそれを作っているのか、偉い人の考えのコピーミスをしていないかどうかとかを、まぁ紳士にですね、考えていきたいなーとか思うよ今日この頃。なんて大人な発想!!おれすてき!!

なんていう発想はこの本よんでて思いました。社会人になったいまよんだからこそ頭に入ってくる部分もあるなー。

知識だけあるバカになるな!

知識だけあるバカになるな!

日曜プログラマーにとって「効果的」なプログラミング言語

vvvvはどっからいじったらいいんでしょうかねー

http://d.hatena.ne.jp/voicedotzero/
さんはいつのまにか旅立たれてるし…。どこいったか知ってる人は教えてください。<gugurekasu

(追記:ぐぐったら余裕ででてきた。http://vvvvnote.wordpress.ne.jp/
このページはしってたけど、voicezeroさんがやってるとはしらなんだ。っつか藝大のワークショップ超いきたかったのに気付いたら締切2日後でした…)

自分が持っているDirectXプログラミングの知識と、自分的に時間があんまりプログラムにかけられないっていうことで、プログラムのしやすさを優先させなければ!とか考えるとvvvvがベストソリューションだとはおもう。んだけどいかんせんプロセッシング情報に比べて、ハードルたけーなー。

いかにして効率よく自分のやりたいプログラムを書きあげることができるか?ってのは社会人になった今一番重要な部分です。効率よくというのは、「書く気が起きる」「バグがでにくい」「全体像をイメージしやすい」っていうことなんですけれどもね。

vvvvやpuredataなによりmaxなんかが採用しているGUIにおけるグラフィカルプログラミング環境ってのは、やれることが文字ベースのプログラムに比べて減る代わり、そうした「効率」がいいプログラムをかける…気がするんです。

気がするってのはどっぷりその辺を使いまくったことがないからなんですが。

90年代前半にそのへんがはやったという噂はきいたんだけれども、すたれたのにはやっぱりそれなりの意味があるんだろうなー。応用力にかけるとか?

プログラミングは、ありとあらゆる記号論的な意味での「記号」を高速に気軽に操れる唯一の道具なわけです。ロジックを自分の手で紙の上で0からくみ上げることは崇高なことではありますが、もはや現代においてはやるきがおきません。それは極端な話ですが、まぁCとかCぷらとかで超巨大プログラムをつくるのはだるいよねってはなしでもあります。

アイディアをロジックに変換するだけでも大変なことなわけです。ロジックをまた、機械用に変換している時間がながければながいほど、ロジックに変換もれされていくアイディアが多数でてくるわけです。

人間の発想を簡単に、忘れないうちに実現できるようになるためにももっと手軽なプロトタイピング用プログラミング言語の開発というのはもっと進むべきだし要注目です。

要注目なんだから、もっとみんなvvvvをつかっておれのためにマニュアルやチュートリアルをかくべきなわけですよ。がんばれみんな!うそです自分もがんばります。でも自分で頑張るのはやっぱりすこしだるいので集合知とかの力でなんとかなることを期待して今日はねる。

天然とポップス

・いまだに「天然」になりたがっている。結局永遠の中2病であることは間違いない。

・天然さ、POPさになることを諦めれば次は「狡猾さ」とか分析派とかインテリヤクザとかになるんだろうけど、ねえ。

・でも結局ど天然が強いってのには悲しいかな変わらない。結局天才って言葉の派生語なんだろう。天才は努力でつくられるなんて話、実際はそうかもしれんが信じたくもない。

・いや、だから「ポップ」にいつまでも憧れるんですよ。

・なにもかんがえてねーっていう馬鹿。馬鹿こそが涅槃。考えれば考えるほどポップスから離れるようにも「見える」。

・実際のポップスは考えられてる。考えてない風で考えてる。でもポップスはやっぱり考えられてない「天才」もいる。

・サブ「ポップス」とメイン「ポップス」があるよね。おかむらちゃんと、くわたけいすけ。

・自意識から逃れられたところに涅槃の境地があるとすれば、いわゆる「天然」キャラっつうのはまさにそこにいるが如くであり超絶うらやましさの対象であるといえます。

・自意識、自分大好きっこクラブ的感覚はどこまでいってもなかなか離れてはくれませんものです。中2病はつづくよーどーこまでもー。

・まさかこんなとしになってまで10年前と同じことをかくとはおもいませんでしたね10年前は。この話はあと100回ぐらいしぬまでにかくでしょう。恥ずかしいけどしょうがない。

・たぶんこんなことをおもいついたままにかくのも、文章を見直して、訂正して、推敲して、表現するのが、「天然」とは程遠い行為に思えてしまっているというところからくるものなんです。たぶん。だから恥ずかしくても我慢してるんでしょう。

過ぎ去ろうとしているゼロ年代と過ぎ去ってしまった80年代・90年代

凹村戦争を今読んでいておもったこと。

凹村戦争東京ガールズブラボーが完全に並列に見える瞬間が訪れたような気がします。いやもともとそういうにゅーあかっつうんですか、そういうのを感じさせるお話だったんですが、でも確かに感じることができた「新しさ」が古びてしまった。

そりゃそうですよね。ゼロ年代後半ですもの。気づけば。だいたいゼロってなんだよ。0じゃなくてなんでカタカナでゼロなんだよ。ゼロからはじめよーよー。ZEROカロリー。ゼロス。ゼロムス。かっこつけすぎです。

いやそう感じている人たちがもうすでにさいしょっから多くいたのは知っていますが。

そしていいもわるいもなく、誰かが話した言葉、希望、夢が実現できそうもないなーと実感するだけの話です。そして現実的に実現してしまった夢は空気を作りだすだけのエネルギーをもっていない。そうやっていつも時代の空気みたいなのはうつりかわっているだけの話っです。

来るべき10年代の雰囲気ってなんなんですかねー。もうそのころにはなんとか年代の空気とかを感じ取るだけの感受性は滅びているのかもしれませんが、できればまたゼロ年代の空気感にふれておおおってなったときみたいに、色々感激してみたいです。思春期みたいに。

vvvv

今からvvvvいじります。グラフィックプログラミングはグラフィカルなのがいいのだろう。processingですべてのパラメータをいじるのはすごいつかれる・・・。ついでにDirectXたたけるのはいいことですね。

悲しい歌

ドナドナは実は戦争の歌で、人間を子牛にたとえて、ユダヤの強制収容所におくられるナチス批判的な歌だったらしいという話をさっき聞いた。YUKIの長い夢は死んだ子供を思って作られた歌だと先週聞いた。なけてなけてしょうがない。

品川ビール

昨日は品川にかえってきて、ビールを店の外でのめるとこでのんだんですがすんげえ気持ちいですね。夏でした。チーズうめえ。仕事も面白いけど、まーこーいうのほうが楽しいのはしょーがないですね。

営業

えーぎょーってのは難しいですね。お客様のことをだいいちに考えるってのは難しい。っつかこっちが「お客様」は本当はこういうことしたらいいんじゃねって考えなきゃいけないっていうじゃん。でもさ、そういうふうに「お客様」が気づいていないことをこちらが気づかせてやる!ってのはさー無意識のうちに上から目線だと思うわけよ。いやなにがいーたいかっていうと、営業がお客様を喜ばせること第一!っていうけどそれだけやってたらただの下僕で、実際みんなそうしてない。そのへんの意識のずれをひとりひとりはどう処理してるんだろうね。まー適当にしてるんだろうけど。